Miles Davis - Round Midnight


#6 Round Midnight

夜になりヤンビンであることを確かめるべくガット船に近づいたが
オレは簡単にヤンビンに銃で脅され囚われの身となってしまった。
どうも歳のせいか、身体の切れが悪い。
やはり本厄のせいか。
野毛の伊勢山皇大神宮で厄を落としてもらっておけばよかった。

ガット船のキャビンに連れ込まれ手をコンソールの上に置くように促された。
「オレはカタギの人間だ。なにもやばいモノは持っちゃいない、本当だ。」
オレの言葉を聞いてか聞かずか、手際よく身体検査をすると
次の瞬間には延髄を金属・・恐らくは銃のグリップで殴られたのだろう。
気を失いキャビンの床に倒れこんだ。

最初に再起動したのは皮膚の感覚だった。
特に耳の辺りの皮膚がまるで冷え切った鋼鉄のような硬さを感じた。
なんとも冷え切ったガット船のキャビンの床。
その冷たさを頬の皮膚が拾い顔面を硬直させ、脳にダイレクトに伝えた。
伝わるとなんとも嫌な感じの頭痛を引き起こした。
次に臭覚が蘇った。
なんとも饐えたような悪臭が鉄の床の下から漂っているようだった。
酷い頭痛を堪えて身体を立て直すとヤンビンが銃を向けていた。
「あんた、たいしたタマだな。5時間も鼾かいて寝てたぜ。」
ヤンビンの銃はベレッタM92タイプの9mm銃で恐らくは
大陸製かフィリピン製のコピーだろう。

オレは一発欠伸をかますと、プラントの放つ夜景が暗黒に浮かぶ窓の外を見た。
「それじゃ真夜中か・・。」
オレは伸びをした。
「チェンタイに雇われたのか?」
ヤンビンの緊張した声が震えている。
「そのとおり。なぜか奴らは中華街からあまり出たくないらしい。
で、借金苦に喘いでいるオレが雇われたってことさ。
あんたを探せ!ってね。
なんでも知り合いの娘さんを殺したのがアンタだってえらく怒ってたぜ。」
ヤンビンは声を上げて笑った。
「おまえ、本当にそういわれたのか!コイツはお笑いだ!」
ヤンビンは腹を抱えて笑った。
ひとしきり笑うと哀しげな顔を見せた。
「そんなに面白いネタならオレにも教えてくれよ。
どうせ冥土の土産になりそうだからな。」
ヤンビンはふっと息を吹きかけると遠い目でプラントの夜景の方を見た。
「シュエランとは福建省の漁村から一緒に逃げてきたんだ・・。
日本の会社の工場ができて多くの農村から若い男女が働きに出て行った。
あぁ車の部品の工場だった。
工場の中に社員寮があった。
だが貧しい漁村の生まれの私とシュエランはそこで差別を受けた。
農民と漁民・・あんたらには分からないだろうが、差別の対象だったんだ。
豪農の息子娘がおおきな顔をしてさ。」
「血縁主義ってやつかい?」
「そうもいうが、単なる門地差別だ。やつら農村出身者は漁民を馬鹿にしていやがる。
最初は便所掃除当番の嫌がらせぐらいだったが、食糧について、寝床について
事あるごとに私たちを馬鹿にして、給金についても会社側に私たちの分を減らすように
云うようになった。最後はお決まりだ。殺人事件が起こったほどだ。
もう仕事どころではない。
私とシュエランは会社から逃げ出した。
だが故郷に帰る訳にも行かない。
だって親にはカネが支払われているからさ。」
「だから二人して上海に逃げたんだ。
しかしチャンスなんてそんなに転がっちゃいない。
ふたりでバンドで路上生活をする羽目になった。
そんなとき私たちを拾ってくれたのがチェンタイだった。」

「羽振りのいい男だったから
そしてなにより私たち・・つまり私とシュエランと同郷だったから
チェンタイを信用した。
それはなによりも強い・・絆だから。」
当時のことを思い出したのだろうかヤンビンの声が震えた。
「私たちの村は、いつも他の村のものに馬鹿にされてきた。
地方政府までもが私たちの村を差別してきた。
とても貧しい魚の少ない漁村だと。
電気が来るのも隣村から10年後だった。
皆口々に魚面(サカナヅラ)した貧民だ、と罵った。
だがチェンタイはそんな奴らを見返して香港でひとやま当てて
この横浜に乗り込んで、いまじゃ大層な身分だ、だから・・
だからだから、私たちはずっと彼に憧れていた。
だからチェンタイの組織に入って、横浜に来た。
最初こそ彼の口利きで二人で中華料理店で働いていたが_。
シュエランと約束したんだ。
結婚するって。
だから金が要る。
だから裏の仕事に手を出した。
チェンタイに謂われるがまま私はマレーシアの組織との取引に行った。
厄介な相手で・・話をつけるのに一年近くかかった。
で戻ってみたら・・シュエランはチェンタイの子供を宿していた。」


「随分と念の入った間男だな。」

オレはヤンビンに同情の表情を見せた。
が、ヤツはオレのデ・ニーロ張りのアカデミー賞級の演技に気づきもしないようだった。



「私は、・・私は酷く落ち込んだが、チェンタイには逆らえずにいた。
なぜならば彼は恩人だからだ。
彼がいなければ私とシュエランは上海で路上生活を続けていたかもしれない。
いや下手をすれば心中していたかもしれない。
だから・・仕方ないじゃないか。そう思った。
そう思いたかった。」
「だが、シュエランは違った。
事が判明してからは私に会うのを拒んだ。
チャンタイもシュエランを私から遠ざけたいようだった。
やがてシュエランはチェンタイの娘を産んだ_。
私はチェンタイの目を忍んでシュエランに会った。
酷く衰弱し、精神的に疲れ切ったようだった。
恥を忍んでのことか、罪の意識からか。
彼女は私の目の前で子供たちを殺そうとしたので、
私は已む無く彼女の子供たちを育てる為、子供たちをさらい、
子供たちと共に身を隠した・・。
このガット船に・・。」
オレは背中に伝わる寒さに震えた。
なにが知り合いの娘さんだ、手前ぇの実の娘だったんじゃねぇか!
オレは心中でチェンタイに毒づいた。だが、気になるじゃないか。
「・・寝取られた女の産んだ子供をよく育てる気になったな。誘拐までして。」
「だってそれは。それは、私の愛した女の産んだ子供たちだから。
たとえ其れが、多少他人と違っていようとも。
母親に拒絶されてしまった存在だとしても、子供たちは我々全体の宝なのだから・・。」
母親の養育拒否というのは最近じゃよくある話だ。
養育を放棄して子どもポストに入れるのは、ある意味まだいいほうで。
闇から闇に葬られることもあるのだろう。
だがこの男の女への愛情が人一倍熱いものだったとしても、だ。
「どうもその辺の神経がわからないんだよなぁ・・」
「あんたら日本人にはわからんだろうな!」
そう云われてしまえば、もうなにも返す言葉はない。
「それが私たちの生き方なんだよ。」
あぁそうかい、オレの知ったことじゃないね、と言い返す気にもならん。
「だが・・いつの話だいチュンメイは・・どう見たって12-3歳・・」






「いやあの子は2歳前だ。」




あ?これもチャイナ・マジックかぃ?
オレはなんだか馬鹿にされている気がしたが、一瞬で態度を変えた。
ガット船の船底のほうでガンガンと凶暴な力で壁を叩く音がする。
まるで獣のような咆哮をあげて。

「子供たちが成長してゆくにつれ、まず食事が多くなった。
とても普通の子供の食べる量ではない。
いや人間の食べる量ではない。
いや人間を食べるようになった。」

「チュンメイはやさしい顔をした子だったが、アレで日にひとり人間を喰っていた。
私が目を離した襷にこの界隈の通行人をたいらげてしまったほどだ。
だから私は足のつかない労務者をサラっては運河を使ってここまで運んできた。
チュンメイは、それでよかったが・・」

「もうひとりのアレは・・・
化け物だから日に二~三人はたいらげる。
その食糧をどうやって賄えというんだ・・・。」

「私は優しいチュンメイがいったいどういうめにあったのか
そしてこの娘たちの食糧を調達することがどういうことなのか
罪悪感にさいなまれたさ。勿論だ。
娘たちの喰いっぷりを見れば地獄の亡者たちも悔いるだろう。
だが・・我が愛しき女の娘なのだ。
その鬩ぎあいの中でこの私はもがき続けた。
打ちひしがれて、絶望した。
そんな私が怯んだ隙にチュンメイが船の外に出て行ってしまった。
私はとっさに銃でチュンメイを撃った。
だが驚くべき跳躍力で逃げ回る彼女を・・いや三発目に仕留めた。
そのときどう思ったとおもう?
頼むからコレで死んでくれ。
そう思った。
鉛弾でくたばるとは思ってなかったからさ・・。
しかしチュンメイは骸となったようだった。
しかし潮が満ちてしまい骸は運河を遡ってしまった。
しかし、しかし、しかし!
オレはそこでさらに後悔と自責の念に苛まれた。
しかし今では腹は決まった。

もうひとりのむすめをどうやって殺すか_。」

もうひとりの娘が船底をガンガンと叩いている音が響いてくる。
いったいどんな怪物だってんだ。

「私は・・あのむすめを餓死させるつもりだった。もう何日もなにも喰っていない・・
しかしそれは・・あまりに残酷すぎやしないか・・」




おいおい、オレを最後の晩餐にする気か?
ヒステリックに船底を叩く金属音に混じって、野太いガラガラとした叫び声が聞こえる。

あれが・・娘の鳴き声だというのか・・

その声を聴いたとき、さすがにオレは気が遠くなった。


娘ってのはいったい・・。







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