Miles Davis - Bitches Brew


#7 Bitches Brew

ヤンビンがオレにベレッタの銃口を向けた。
次の瞬間、ガラスの割れる音がして、シュッと空を切る音がして
ヤンビンが銃を落として床に転がった。
やれやれ・・オレを見張って跡をつけていたチェンタイの手下が撃ったらしい。
オレも音がした瞬間床に倒れこんだ。
「このままじゃ二人ともやられるぜ」
オレはヤンビンに告げるとヤンビンは撃たれた右手を庇いながらもロープを解いた。
「あんた銃は扱えるか・・?」
「ジョン・ウーの映画は観ている。」
オレは床に落ちている銃を拾い上げるとヤンビンに銃口を向ける。
安全装置の外し方ぐらいは知っている。
「甘く見るなよ」

オレたちはガット船のキャビンから外に出た。
その夜が満月であることにそのとき初めて気がついた。
チェンタイの手下たちがガット船に乗り移ってきた。
あぁオレが鼻をつぶしたチャイナ・ボーイが先頭に走っている。
しかしあの絆創膏の貼りかたは・・コントだぜ。
そして道路に横付けされた白いロールスロイスからチェンタイが降りてきた。
オレはヤンビンの背後に周り、銃口を押し付けた。
「ヤンビンを見つけたぜ。オレの仕事は此処までだ。おさらばさせていただくぜ。
ギャラはマカオの銀行に振り込んでくれ。」
オレはさっさとその場を離れようとしたが、そうは問屋がおろさない。
「おいおい、まさかこのまま帰れると本気で思っているのか?」
チェンタイが笑いながらガット船に乗り込んできた。
「今日は娘たちの二歳の誕生日だ。めでたい日なのだ。楽しんでいってくれ。
娘たちもこれでイッパシのおとなだ。
さぁ二歳の誕生日に満月の夜を迎えるとは素晴らしいではないか!
まさにこれからの王者にふさわしい。」
オレはヤンビンを後ろから押し倒すと、チェンタイに銃口を向けたが
手下たちに取り囲まれてしまった。
あぁ、いけねえ・・最悪の展開だ。





チェンタイはヤンビンにサイレンサー付きの銃を向け間髪入れずに鉛弾をぶちこんだ。
「この男は我が娘たちを誘拐し、そのうちのひとりを事あろうか殺してしまった!」
ヤンビンは今度は腹を押さえて床の上に倒れこみのた打ち回った。
「とんでもない男だ。」

「ところで・・あんた・いったい何者なんだい。
死んだ筈のチェンタイの皮を被って・・化け物の娘たちの親ともなれば
とても人間とは思えないわなぁ。」
チェンタイの手下はオレに銃を向けたが、オレの言葉に戸惑いを感じているようだった。
「なんだよ知らねえぇのか、チェンタイは死んだんだぜ」
チェンタイは腹を抱えて笑った。
「だが中華五千年の秘薬の御蔭で蘇ったのだ」
「おいおい今は21世紀だぜ・・しかも10年以上経っている。
そんな戯言通用しないぜ・・。」

「実におめでたい。何も知らんのだな。
太古の昔から尖閣も沖縄も中国のものであるのと同様に、
更にその前からこの世は我々のものなのだ。
この男の身体同様、この街、この国もいずれも私のものになる。
そしてこの私の娘の時代には我々は再びこの世界を掌中に収めるのだ。」

「あんた・・その・・太古の昔から・・蘇ったって・・クチかい?」

下から突き上げるような揺れにガット船が傾いだ。
甲板を下から突き破るような・・いや実際に突き破って巨大な吸盤に覆われた
軟体性の触手が一本現れたときには正直1ccほどは漏れたかもしれない。
さらにもう一本触手が現れたときには傾いだ船がこのまま沈むのではないかと思った。
チェンタイ・・もしくはチェンタイだったソレが、闇の中で高らかに笑い声を張り上げた。
「愛しい我が娘よ!おとうさんだよ!」
あぁ、なんてことだ・・このイカタコの化け物がコイツの娘だってのか!
「おなかが空いていたのだろう、いまご馳走をしてあげるからな。」
その言葉に反応するように甲板を突き破って巨大なイカの嘴のような鋭い部位が現れ
チェンタイの手下たちが触手に捕まり喰われていった。
生臭いにおいがあたりに立ち込めた。
床に転がっていたヤンビンとオレも触手に捕まってしまった。





「私の正体を知りたいか?」

甲高い声の風船デブが不敵に笑いながら云った。
いやぁ・・娘を見れば察しはつく。

「・・遠慮しておくよ。」

だがオレの意見は聞き入れられずに笑い声が止まると、よせばいいのに
チェンタイの顔がギレルモ・デル・トロの映画の怪物のように分かれて
あぁ当分イカの刺身は食えなくなるだろうと思えた。
娘の巨大な触手に捕まり手も足もでないオレとヤンビンは締め付けられていたが
血を流していたヤンビンのほうを好んだのか・・ヤンビンは嘴に放り込まれてしまった。
ヤンビンの身体は血に塗れはらわたを船床に撒き散らして声ひとつ立てずに喰われてしまった。
すると娘の触手は先に鼻でもついているのか、クンクンと床を嗅ぎ回り臓物を探し当て
掃除機のように吸い取ってしまった。
その光景を見ると耐えられないぐらい気分が悪くなった。
チェンタイが笑った。

「さて今宵のデザートだ・・」

まさかこの歳になって年頃の若い娘のデザートにされるとは思わなかったぜ。
この世には神も仏も無いのか。
あぁ・・実に・・惨めな人生だった・・
南無阿弥陀仏。
エイメン。
選りによってイカの餌とは。
と思いながら眼を閉じたときだった。
オレは娘の触手から突如解放された。
目の前にはビクンビクンと波打つチェンタイとタコとイカの混ざった身体があった。
背後からシュエランに刺されたのだ。オレは起き上がりシュエランを連れて船を下りた。
娘の触手は黒い血を振り撒くチェンタイの身体に巻きつき、嘴に運んだ。
チェンタイのどす黒い叫びが響いた。

船底でまるで爆発でも起こったような音がして・・
娘の身体がとうとう船底に穴を開けたようだ。
ガット船が沈んでゆく。

海底のヘドロを巻き上げて最悪の臭いを振り撒いてとうとう船が沈んだ。
湧き上がる海水のなかに巨大なペニス状のものが浮上し
軟体性の触角を伸ばして巨大な眼玉を持ち上げるとシュエランをしげしげと見下ろしていたが、
なんとも気分の悪くなる声を残して海中に泳ぎ去っていった。





シュエランはチェンタイを刺したナイフを構えていたが、緊張の糸が解けたのか
その場に倒れこんだ。
そして堰を切ったように感情を爆発させた。
「私は、力づくであの化け物に犯されて・・。
あの化け物の娘たちは私の身体から生まれ出たのよ!
私がこの手で殺すべきだった・・。
なのに・・私は・・あの化け物たちを殺せずに・・
あのひとに頼ってしまった・・。
あのひとは私が産み落とした怪物たちを
必死になって育てた・・。
それは私のため、とあのひとは思っていたけれど・・。
それは違うの。
あれは私が殺してしまえばよかったの。
私が殺してしまわなかったから、あのひとが・・。」
少し落ち着いたのか、手にしたナイフを落とした。
「私は・・どうなるの?チェンタイを殺してしまった。」
シュエランはオレの腕の中でそう訊ねた。

「別にどうにもならないさ。あなたは人を刺した訳じゃない。
ただ・・悪夢から開放されただけさ。」

そう答えるのが精一杯だった。
「すべて忘れ去って新しい人生を送ってくれ。」
オレはチェンタイの黒い血のついたナイフを海に放り込んだ。
シュエランの後姿を見送りながら、セブンスターを取り出したが
水に濡れていたので握りつぶした。

明け方になり港湾署の刑事たちがやってきた。
オレの臭いを嫌って皆本も近寄らなかった。
「おい、平ぁ、手を出すなといっただろうが!
船が沈んだって、いったいなにがあったんだよ!
ってなんて臭いだよ、おまえっ!」
「何も知らないですよ。何も見ちゃいない。」
海底のヘドロをさらったところであの“娘”の食欲なら肉片のひとつも出てこないだろう。
“ふざけやがって!“
と殴りかかろうとした藤原のタイミングは完全に読めていた。
オレは身を翻すとバランスを失った藤原の身体はそのまま海に落ちていった。

「あぁ・・勘弁してくださいな、風呂に入りたいんでね、それじゃ帰りますんで」
ハットを直すと、オレは現場を後にした。







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