2013年 本牧



Mal Waldron - Left Alone


 
 
 あしたのために(その1) =ジャブ=

  攻撃の突破口を開くため あるいは敵の出足を止めるため 
 左パンチを小刻みに打つこと
 この際 肘を左脇の下から離さぬ心構えで やや内角を狙い
 えぐりこむように打つべし
 正確なジャブ三発につづく左パンチは その威力を三倍に増すものなり。


             丹下団平 on ”あしたのジョー”


 その日は明け方までかかった浮気調査のため、昼前まで本牧の事務所のソファで寝ていた。
いや出来れば夕方まで寝ていたかったが、黒電話のベルがけたたましく鳴ったため
目を開けずに手探りで受話器を取った。
電話の相手は、港湾警察署の皆本警部・・つまりはオレがいちばん気に入らない男だった。
だからそのまま受話器を置いた。
するとまた黒電話が鳴った。カネにならない電話のベルは騒音以外のなにものでもない。
オレは目を開けずに受話器を取り、そのまま放り出して、寝相を変えた。
受話器から大声で喚く皆本の声がした。
「いまからいくからな!」
おとといきやがれ!と心の中で言い返すと再び眠りにつこうとしたときだった。
皆本警部は事務所のドアを蹴飛ばして入ってきやがった。
「おい、平、ふざけやがって」
寝ぼけ眼で皆本の顔を見るとオレはハットで顔を覆った。
「あんたに用はない、帰ってくれ」
皆本は誰も奨めはしないのに椅子にかけた。
「おまえに無くても俺には用があるんだ、おぅ!」
皆本のその言葉にむかっ腹が立った。

「なんだ?定年近くて朝立ちが出来ずにイライラがつのった腹いせに公務執行妨害か?
その椅子に座ると自動でビデオ録画がはじまるんだ。
いまのあんたの言動は既に記録されている。
署長さんにメールで送っておくよ。威力業務妨害だ。
定年を目前に懲戒解雇だ。ざまあみろ。」

すると皆本警部は態度を変えた。
 珍しく下出に出てきたので、正直、面喰らいながら、仕方なくインスタント・コーヒーを煎れる。
通っているクリニックの”ビッチな管理栄養士”に止められている「コーヒーにシュガー」を堪能する。
ブラックをツウだという向きもいるにはいるが、コーヒーは砂糖抜きでは飲めない。
特に安いインスタントなら、なおさらだ。




皆本が床の一点を見つめて小声で云う。
「他の誰にも云えねぇ、おまえにしか頼めないことがあってよォ_。」
なにも考える必要がないこの男に絡めばそれだけで碌なことにはなりはしない。
「あんたの頼みナンざ、このオレが聞くとでも思っているのか?」
「おまえはいつもそう云って俺を嫌うが・・・」オレは皆本のガラガラ声を遮った。
「貴様のような汚職警官は警察にいちゃあいけない、いやぁ、死んでしまえばいい。」
「だからよ、それがおまえの勘違いだって。誤解だよ、誤解なんだよ。」
「笑わせるな、貴様は反社会勢力から金をセビッテいた。いや今もだろう。
この街の右翼崩れもやくざもカルトも・・みんなこの街の警察にミカジメ料を払っていた。
貴様はその集金係だった。そんな奴がこのオレの上司だったとはな!
証拠を掴んだオレは・・まさか警察そのものが腐っているとは思わなかった。
訴え出る相手を間違えたよ。警察庁もマスコミも皆グルだったなんてな。
ところが今はいい時代になったもんだ。ネットで流せば、どうなるんだろな。」
皆本は両手を横に広げた。
「どうしてもおまえにしか頼めない。他のことなら誰でもいい、だがおまえにしか頼めん。」
「いつも連れまわっている若いの・・図体のでかい・・藤原っていったっけ?あいつを使えよ。」
「あのガキはクビだ。欲かきやがって、必要以上に自分のポケットに入れちまいやがった。
懲戒解雇だ、どうせそこらでボンクラでもしてるんだろうがな。
そんなことぁどうでもいい。おまえも当事者だったんだからな、おまえがいい。
いや・・おまえしかいない。」
「いったい・・」あぁオレの悪い癖だ、興味を持ってしまった。
「・・仕方ねぇ、話だけは聞いてやる。それ以上は料金が発生する。
それでよければ話してみな。」
料金という単語を予想していなかったらしく、皆本は眉間に皺を寄せた。



 「もう20年にもなるんだがな。おまえと俺が黄金町署の刑事課に居た頃だ。
ほれ、役者が銀座のホステス連れてよ、出来たてのインターコンチでよろしくやってる間に
女が死んじまった事件があったろ。」

なんでも下品に話せる皆本の一種の能力には、いつもながらにうんざりさせられる。
「あぁ覚えている。」
とてもスキャンダラスな事件で当時マスコミが署の前に毎日山のように押し寄せていた。
忘れようがない、いやむしろ鮮明に覚えている。
「あの害者のホステスのこと、覚えているか?」
「銀座のホステスで、バイトでAV出てたっていったかな。
かなり奔放な女とマスコミで叩かれていたな。
今で云う脱法ドラッグのハシリみたいな薬物で発作を起こして絶命した死亡例として
警察医大の教科書にも載っている女だ。」
「おぅよ。名前は・・」
「いやぁ覚えていない。」
・・出しゃばり過ぎた、この件にやはり関わらないほうがいい。

「源氏名は麗香。名前は・・田端和代(たばたかずよ) 。当時24歳だった。」

「ほう、随分と物覚えがいいじゃないか。」オレは皆本をからかった。

「実はな、ホトケの父親なんだがな。
田端和俊(たばたかずとし)といって俺より五歳ほど年上なんだがな。
なぁに、事が起こるまでは一流企業の確か大手商社の企業戦士でな。
横須賀の山の上によデカい家立てて、なに不自由なく暮らしてた・・。
いや・・娘とは昔からうまくいっていなかったらしいが。な。
なんでもあの娘というのは高校まではホレ、フェリアス女子高で
成績も優秀で通っていたらしいんだが、
なにが原因かは知らんが突然グレはじめてよ。
でもホステスでも銀座の超一流店のホステスだからな、たいしたタマだよな。
そりゃぁまあいいや。
事の後によ。ひとり娘が死んで。ましてマスコミにあんな叩かれ方してよ。
奥さんがノイローゼになっちまってな。一年もしない間に交通事故でな。
金沢文庫の方でよ電信柱にぶつかってな、自爆事故らしいんだが。亡くなっちまったんだ。」

オレはその気もないのに聞き流していた。

 「かなりエリートな企業戦士だったらしいが、会社も辞めて。
酒浸りになってな、生活も荒んだ。
それから五年たって、あの旦那も50ってところだ。
例の俳優・・忍田衛の仮出所が近づいたので
オレはそれとなく田端和俊の様子を伺っていた。
そしたらよ、アイツは寿町の経栄会の事務所に入っていったんだ。
俺の目の前でよ。」

「経栄会っていえば・・」オレは念押しのために相槌を打った。

「そのころここいらで幅を利かせてた武闘派の暴力団の事務所によ、
一般人の典型みたいな男が入っていった。
俺は直ぐに事務所に飛び込んだ。
そしたらよ。田端さんは100万もって「拳銃売ってくれ」とチンピラに云っていたんだ。
チンピラぁは、このボケ爺とからかっていたところだった。
俺は田端さんを連れ戻し、経栄会のチンピラには二度と係るんじゃねぇ、と諌めてよ。」

オレは皆本がなんでそんなにこの件に首を突っ込むのかわからなかった。

 「俺は田端さんと腹を割って話しをした。拳銃持って何をするつもりなんですか、と。
そんなことして、ご家族が喜ぶと思っているんですか、と。
そしたら田端さんは涙ながらに、私の家族は皆死んでしまった。
忍田衛は刑を満了して出てくるだと?本当に更生しているのか?
たとえ更生したとして、奴を殺してしまわなければ我々の家族は浮かばれない、と。
なぜ警察は、司法は、奴の肩方ばかり持つのか、と。
拳銃ひとつ私が持てば。奴と私自身を始末してしまえば全てが終わるじゃないか、と。
だが誰もあなたにそんなことをして欲しいとは願っていない。
天国のご家族もあなたに犯罪者になってほしいとは絶対に思っていないと、諭したんだ。
だから二度と拳銃を手にしようなんて考えないでくれと、俺も涙ながらに田端さんに頼んだ。
そのとき俺はそんな田端さんを見守っていくと決めたんだ。」

オレは皆本に問いただした。

「なんで犯罪被害者にそんなに入れ込むんだ?あんたらしくもないじゃないか。
そもそも忍田の出所時期をなんで田端さんが知ったんだ?
あんたが教えたんだろ?違うのか?」

皆本は観念したような顔をした。

「あぁそのとおりだ。
歳も近いこともあって俺は田端さんのことが気になって仕方なかった。
仕事一筋に生きていた男がすべてを失った様を見ているのが辛かった。」

「ほぅ。それで重要な個人情報を漏えいした、と。
あんた忍田を田端さんに殺させようとしたんじゃないのか?」

「馬鹿な。なにをいうんだ、俺はただ忍田に田端さんの目の前で謝罪させたかっただけだ。」

皆本は毅然とした態度で云ったが、オレは此奴のこういう態度が気に入らない。

「へぇ。あんたにそんな殊勝な考え方ができるのかね?驚きだね。」

オレは皆本が嫌いだ。
だから此奴の云うことはなにひとつ信用しない。

「さっきも言ったが、ここの椅子に座った瞬間からあんた録画されている。
警察官としてしてはならないことをあんたはしたことを告白した。」

「署に送るか。好きにしろ。」

「へっ!誰が警察を信用するかい。ネットで流す。
あとは警察が大嫌いな弁護士さんやらマスコミがあんたの家に押し寄せるだろうよ。
一度ネットに乗れば削除もできない。もうあんたはお終いだな。」

「構わないよ。来週には定年だ。あとは野となれ山となれだ。」

皆本が開き直った態度が更に気に入らなかった。


「ほう。で、それなら自分でやればいい。オレを頼るな。」
「まだ話がある。話だけはタダで聞くんだよな?」
皆本は顎を挙げてものをいう癖を治していない。
「長い話は御免だぜ。」

 「拳銃の件のあと忍田衛は釈放されたが出所後
実際には芸能界を追放されたと思っていたが、
保護司の経営するボクシングジムでボクサーとしてリングに数回登り、
その後はAV男優として仕事をしていた。
際物の仕事ばかりだったらしいがそれなりには喰えていたらしい。
恐喝と麻薬所持で5年喰らった。
次に出てきたときには誰も忍田を見向きもしなかったが、
それが返って奴を自暴自棄にさせたらしく、くだらん恐喝で逮捕、現在服役中。
転落の人生を順調に歩んでやがる。」

「そうだったけな。もうとっくに死んだと思っていたがね。
出所のたびにあんた、奴に田端さんに謝らせようとしたのか?」

「いや。段々落ちぶれてゆく奴の態度が返って田端さんの怒りを
増幅させかねなかったからな。
田端さんは拳銃の件の後、突然体を鍛えはじめてな。」

「健康志向になったのか」オレは嘯いた。

「健全な精神は健全な肉体に宿る・・って。
聞いたことあるだろ、孤児院でもそのぐらい教えるだろ。
田端さんはとにかく筋トレを始めた。最初は公民館のトレーニング室に通っていたが
徐々にハードなトレーニングも行っていたようだ。」

「いいじゃないか。健康的な話だ。」オレはまた嘯いた。

「そう思うだろ。で、久しぶりに田端さんに会いに行ったが
健全な精神どころじゃない。必ず忍田衛をこの手で殺してやるって息巻いていた。
もう下手なボディビルダーやらプロレスラーのような体つきでな。
拳銃なんて必要ない、自らの体を鍛えて肉弾戦で仕留めるつもりだ・・。」

「そりゃ殊勝なことだ、で、なんで会いに行ったんだ?」

「・・・」皆本は口を濁した。

「忍田が出所するんだな?それをあんた、また漏えいしたんだな?」

オレが追及すると皆本はコクリと頷いた。

「今度こそ、いや今度が最後だ。

忍田の奴に田端さんの目の前で謝罪させてやる最後のチャンスだ。」

「なんで最後なんだ?」

「田端さんが通っている病院で調べたが極度の狭心症で、田端さんはあとが短いらしい。
急激に筋肉を鍛えたせいで筋肉が心臓を圧迫しているらしい。」
気まずい空気が流れたのでセブンスターを一本取り出し火を点ける。

「それでオレになにをしろっていうんだ。」
突き放したように言った。
「だから俺は・・忍田の奴に田端さんの目の前で・・。」
「うそつけ。田端さんが忍田を殺すのを止めろ、というんだろ?」
皆本は黙って頷いた。
「田端さんが行方不明になった。どこで何をしているのか、分からない。」
「だが田端さんは忍田の出所日を知っているってか。
で、いつ忍田は出所するんだ?」
「一週間後だ。」

「経費別、日当は10万。調査料として30万。〆て100万円。
警察官割増を20%。で120万だな。前金でもらおうか。でなければオレは動かん。」

オレは引き受けるつもりもなく金額を提示した。

「前金は明日払う。残りは事後だ。」皆本が突っぱねるので。
「じゃ、話はなかったことに。帰ってくれ。」と言い放った。
「足元見やがって!」と舌打ちしながら皆本は踵を返した。
「明日100万届けさせる。残りは事後だ。」
といって乱暴にドアを開け放つと出ていった。

 翌朝、なかなか躾の行き届いた婦人警察官が100万円の束の入った茶封筒を届けてきた。
仕方ない。動かざるを得なくなった。
しかし実際動いてみると行方不明の高齢者の捜索というのは
面倒このうえの無い話で。見つけたところで皆本が喜ぶだけの話。
見つけられなかったところで何が変わるわけでもない。
動くだけ馬鹿馬鹿しくなったため放置を決め込んだ。
 
数日後、黒電話が鳴り受話器を取るとバーテンダーのチャーリーの声がした。
「いつもお世話になっております。
このたび手前共のオーナーが平さまに御仕事を依頼したいということで
御手隙の時に店の方に寄っていただきたいのですが・・」
「了解、夕方でいいかな?」と切り返すと
「当店は17:00からの営業となっております。」
まだ昼前だったので、浮気調査の報告書をまとめて依頼主に送付した。
事務所の窓からベイブリッジが霞んで見えた。
大陸から妙なものが飛んできたのだろうか_。

横須賀方面からの湿った風が吹いていた。






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