横須賀ストーリー



「このクソ老いぼれが!
ここは手前ぇみたいなジジイが介護予防目当てで来るような場所じゃねえんだよ!
こんなことぐらいで音を上げやがって!
スパーリングの途中で攻めあぐねる馬鹿がどこにいるんだよ!
始めんのが半世紀遅いんだよ、舐めるなジジイ!
右ッ!右ッ!
左ッ!
そうだッ!
右ッ!右ッ!
左ッ!
馬鹿野郎、休んでんじゃねーぞ!
ジャブ、ジャブ、ストレート!
すぐにジャブ出せよ!」



Michel Camilo - Mano a Mano



 京浜急行の快速に乗り汐入の駅で降りて線路の脇道を進んでゆくとアップダウンを繰り返し
日当たりの悪いガード下にある古びれたアパートの部屋を訪ねた。
行方不明の田端和俊がもしかしたら戻っているかもしれない、と思ったからではなく最初からネタを
探るためだった。それにしてもあんまり時間をかけるつもりもなくなぜなら、午後からは別な仕事で
医療養護施設とやらに向かわなければならない。
アパートの大家に「横須賀署のものだ」と云うと素直に部屋の鍵を渡してくれた。
田端和俊の部屋に入ると、「男の部屋」だった。
所狭しとコンビニ袋が散乱し、たたんでいない洗濯物が床に投げられていた。
そして大量の空き缶。
通常ならこういう部屋に転がっているのはビールに酎ハイにハイボールというのが
通例なのだが、この部屋は違った。
転がっているすべての空き缶が例の筋肉増強飲料「筋力」だった。
その他の特徴としては兎に角、ストイックなことだ。
通常ならいい歳こいた爺様でも一人住まいならAVのDVDの山のひとつやふたつ
すぐに出てきそうなものだったが、腹筋増強用のベルトだの数対のダンベルだの
スポーツジムのトレーニングルームのような部屋だった。
それ以外では麻薬中毒の芸能人を追った週刊誌の記事などの切り抜きが
スクラップブックに数冊にまとめられていた。
PCを起動してネットにつなげてみても、閲覧履歴は筋力増強と
トレーニングと芸能人の麻薬がらみの件ばかりとなれば、

必然としてその多くは忍田衛に通づるものばかりだった。

あとは「筋力」の通販履歴が見て取れた。
これ以上ないほど明らかに田端和俊は忍田衛を狙っている。
その目的は娘の復讐の一点にあり、年齢に応じて丸くなるどころか先鋭になっている。
皆本の云うように医者の診断通り田端和俊が余命が其れほど長くないのを知っているならば
必ず今回は事を起こすだろう。オッサン、わかりやすすぎるぜ。
だが田端の居場所について指し示すような物証はなにもなかった。
 pcの電源を切って部屋を出ようとした瞬間、ネットのyahho!ニュースの
画面がメジャーリーグでの乱闘事件に日本人選手が巻き込まれたという事件を報じていた。

 近所に聞き込みをしても兎に角ここ数か月間は誰とも会っていないようで、
買い物もamazonだの楽天だのの通販で行い近くのコンビニにも行っていなかったようだ。
ただ最後に観た姿と云うのが「高齢者にしては」という文言なしにボディビルダーか
プロレスラーのような筋骨隆々な体つきというよりは異常に筋肉が張り出していたようだ。

「マジすか、あのオッサンそんな歳だったんすか。
どうみてもシュワルツェネッガー並みでしたよ、最初のターミネーターの頃のね。」

 しかし奴はなにを食い扶持にしてきたんだ。会社を辞めて、家を売り払い・・それにしてもだ。
ジム通いにだって金はかかるだろ。年金受給したってタカが知れているだろう。
奴はいったいどこでなにをしているんだ_。
オレは奴の部屋のベッドの敷布団の下に隠されていた折りたたまれたチラシを発見した。
「鶴見U-BOX」とおどろおどろしいフォントで書かれた安っぽい黄色いチラシ。
オレの臭覚はなにか特別な臭いを嗅ぎ分け、その紙の手触りから一抹の不安を感じた。
そのチラシをポケットに入れて部屋を後にした。

 それから皆本から聴きだした田端の昔の自宅に足を運ぶべく今度は坂を上った。
急な坂で上り終えると息が切れた。小高い丘の上にある邸宅。
ここが20年前の事件当時、田端一家が住んでいた家。
20年前の事件前後のことを知りたかった・・という明確な理由がなかったわけではなかった。
ただ、坂を登り切れば海が見えるか・・知りたかっただけだった。




次の瞬間背中が強くたたきつけられ、呼吸が出来なくなり
水の中にいることが分かった。
わたすは泳げないのでもがいていると、さゆきちゃんも溺れかけていた。
かなりの急流で流され、わたすは気を失った。

気がつくと川辺に流れ着いていて、だがもう夕暮れだった。
わたすは火打石で火を起こして。
焚き火があれば獣たちも襲ってくるまい。

それから二日三日歩いた。
川辺を歩いたので水に困ることはなかったが
腹はすいた。
途中で見たこともない滝があり山に入ってけものみちを巻いて歩くと
蝙蝠岳が見えた。
おそらくは・・蝙蝠岳のあちらがわが部落に通づる道があるはずだ。
だが、女だけで蝙蝠谷に入るのはふたりとも怖かった。
だから稲波の頭を通って迂回することにした。
さぁ、あすは部落に着くかもしれない。
そう思うとわたすはなんだか気まずいものを感じた。

それがなんだかわからなかったが、なにか悪いことが
起きるんじゃなかろうか。
そもそもわたすは部落に帰ったところで居場所などないんだ。
ところがさゆきちゃんは、そうじゃない。
さゆきちゃん、おっとぅが待ってるだろ。
あぁ、おかぁが亡くなったことは言ってなかった・・。

部落に近づくにつれて次第にわたすの脚は遅くなっていったが
さゆきちゃんの脚は速くなっていった。

見覚えのある栗の木が見えると、さゆきちゃんは走り出した。
部落へは、あと少しだ。そんな想いがさゆきちゃんを走らせたんだろ。
わたすはさゆきちゃんの跡を追った。

「わたすだァーっ、さゆきだぁーっ、助けてぇー」
部落の入り口の祠の前に六蔵が立っていて、さゆきちゃん助けを求めた。
わたすは木陰にとっさの判断でかくれた。
慌てた様子で六蔵が、さゆきちゃんの話を聞くと、修験堂に誘い込んで。
驚いたように飛び出してきた修験者さまと六蔵が、さゆきちゃんに猿轡して。



 だがフェイクの警察章を見せるとこのあたりの古い住人達はいろいろ話してくれた。

「あぁ、田端さんなぁ・・たいへんだったよな・・ほら娘さんがあんなになっちまってさぁ」

「このあたりも大変だったんだよ、へんな週刊誌の記者みたいなのがいっぱい来てさ。」

「それでいづらくなっちまったんだよ。」

 このあたりも往年の高級住宅街、住んでいるのは年寄りが多い。
最近のことよりは昔の話の方がしっかりと憶えている。

「あの娘さんも・・あんなになるまえはさ、優等生でスポーツ万能でおまけに美人で通ってたからねぇ」

「ほら大手商社マンだったでしょ。絵にかいたような勝ち組一家だったわよね。」

「ありゃぁさ、あの娘がさ、米軍の兵隊に襲われてさ_。」

オレは聞き耳を立てた。
「高校生だったんだろあの頃、酔っぱらった米軍の兵隊が追い掛けられてさ。
あとはほら、ねぇ。このあたりじゃ昔はそうゆうことがよくあったんだよ。
交番に逃げ込んでもおまわりさんも居ないんじゃねぇ・・。
ホントは交番のおまわりも隠れて出てこなかったんだ。
びびってさ、出てこれなかったんだ。
気取ったこと言ってもさ、連中そんな仕事しかしちゃいないんだ、昔からね。」

「それからぐれちゃったんだよ。でも銀座でいちばんのホステスになったらしいからさ。
羽振りはよかったみたいだね。たまにここに帰ってくるときはフェラーリだの、
ランボルギーニだのイタリアの高級外車だったよ。
まぁあっちの筋の様な男も一緒にいたがね。」

「帰ってくれば、帰ってきたで、お父さんに悪態ついてばかりでね。
表からでも聞こえるほど怒鳴りあっていたよ。」

 あの娘の過去を聞かされオレはなにか別な感情が湧き上がるのを感じた。
今も昔も変わりはない。「基地の街」で起こる非情な事件を。
そしてそれをいつも我が身のことともとらえられずに放置してきたことを。
誰がではなく。皆が。街の人間が。国民が。
いやそう云いくるめて己を騙してきた日本人という「生き方」を。
和を以て尊しというのは悪事を馴れ合いの中で見て見ぬふりをすることではなかったはずだ。
だが責任の所在を有耶無耶にして忘れてしまうことを是としてきた「生き方」を。
その矛盾を抱えていたのはなにも沖縄だけではない。
 田端の家はいまでは他人の手にわたりスパニッシュ風なロッジを思わせる建物に建て替えられていた。
ここまでの急な坂を上り切っても、いまでは海はみえなかった。





 

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