Krzysztof Penderecki - Symphony No. 3 - Andante con moto
「ボクシングについて教える事はない。
オマエさんのハートと身体に染み付いているからな。
奴を倒すにはスピードがいる。
だがオマエにはそれがない。
膝が負担に耐え切れねえからハードなランニングはダメだ。
首は元々関節炎だし、全身の関節もサビがきて
すぐにヘタるからスパーリングもできねえ。
となると方法は一つ、昔ながらの単純極まる戦法しかねえ。
馬力で押す。
重くて強烈で脳天にズシーッと響くパンチ。
墓の中のご先祖様も吹っ飛ばすパンチだ。
一発喰らうたびに列車とキスしたような衝撃を受けるパンチ。
そうだ、昔なつかしのメガトンパンチって奴よ!」
Tony Burton as Duke on ”Rocky Balboa”
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翌日、あんなものを見せられて食欲は全くわかなかったが、
この後いつ飯が食えるかわからない状態だったから。
あぁ今夜は忍田が釈放される・・からな。
偶々昼飯時に事務所にいたこともあってカップラーメンを食っていた。
久しぶりにテレビでタモリの顔を見て随分老けたな、と思いながら見ていたら
テロップで臨時ニュースが流れ、歌手の志水清一郎が殺害された、と報じた。
その直後、皆本が声をひっくり返して電話をしてきた。
すぐに港湾署に来い、という。
誰が悪の巣窟に自分から足を運ぶか!と息巻くと
奴らしくない悲鳴のような声を上げたので
からかい半分で行ってみることにした。
オレの顔を見ると皆本は三階の鑑識課横の部屋に招き入れた。
監視カメラ映像の解析を行なっているようで、モニターを覗き込むと。
「これは志水のいた鶴見のよ、ボクシングジムの監視カメラの映像だ。」
ロッカールームが映し出されている。
突然、志水の体が凄い力でスチール製のロッカーに向かって投げ飛ばされ、
ロッカーの表面がグシャッと凹む。
その次に現れたのが。
この世のものとは思われないような、筋肉の塊のようなモノだった。
ひとことでいうなら、全身真っ赤に染まった・・超人ハルクだ。
監視カメラはその後方の姿を映し出している。
その隆々たる背筋。
巨大に膨れ上がった三角筋がまるで別な生物のようにブルブルと動いているのがわかる。
棘上筋が心拍数に合わせて動いているのか、まるで風船のように収縮を繰り返している。
恐れ戦いた志水は命乞いをしているようだった。
真っ赤な筋肉の塊は頭板状筋を緩めるためか左右にぐりぐりと動かし、右肩を回すと
スイカのように膨張した上腕三頭筋のの付いた右腕を伸ばし
志水の頭を手のひらで捕まえると虫様筋に力を込め志水の頭を握りつぶしてしまった_。
いとも簡単に。
皆本は無言でオレの顔を見て、なにも言わないまま、理解を求めるような目つきでオレを見た。
この身の丈2m以上の超人ハルクの赤むけした奴が・・田端和俊だというのか_。
こんな体になるには例の筋肉増強剤を飲んだに違いなく・・いやその量は大概な量ではないだろう。
宇宙から来た未知の微生物の卵が付着してようがしてまいが、オレの知ったことじゃない。
だが今夜、コイツと張り合わなければならないのか。
そう思うと体が震えた。
「さっき鶴見川の河口で高田祐吉の死体が上がった・・ほら坂谷なんとかって女優の元旦那だぃ。」
オレはふーんと嘯いた。
「これであの女優も日本に居れば完全に狙われるだろうがマカオに住んでいるらしいな。」
「ほぅ詳しいね。」オレはまた嘯いた。
「日本に密入国でもしてないだろうな。」
オレは頸を傾げた。「まぁどのみち、奴の狙いは_。」
皆本は頷くと、タバコを一本取り出し火を点ける。
「田端さんは必ず、忍田を狙っているはずだ。
なにがあっても田端さんにこれ以上の罪を犯させないでくれ。」
「おいおい、既に殺人事件なんだぞ。おまえら警察の仕事だろ!」
オレは皆本をたしなめた。
「この映像を見て警察庁の科学捜査班が捜査を担当することになった。
厚労省の薬物対策班も動き出した。だが奴らの見解ではこの映像を見る限り
<既に人間である可能性は低い>んだと。
つまり怪物か別な生物にされちまったんだ。
なんでも例の筋肉増強剤の中の未知の微生物ってのが人間の筋肉に取り付いてよ。
そのひとつひとつが別々な動きをするらしい。
まるで意志を持ったようにな。本人の意思とは別な活発な動きを見せるらしい。
本件は殺人事件ではなく、これは害獣に襲われた事故死である、と、な。
もうおれたちの出る幕はない、だが。だが、田端さんを止められるのは・・。」
「そもそもこの超人ハルクが本当に田端さんなのか?」
皆本はオレの顔をにらみつけた。
「おまえもそう思っているだろ?」
「こんなもの、オレたちが止められるわけがないだろ。」
「田端さんを止められるのは俺たちだけだ。」
皆本の内臓の腐ったような口臭が漂った。
「なあ頼むぜ。田端さんの娘はよ。高校生の頃、横須賀のドブ板あたりでよ。
米軍の不良外人たちに襲われてな。」
あぁどこかで聞いた話だ。だが知らぬ存ぜぬ態度を決め込む。
「死んだ娘か。米兵にレイプされたのか。」
「いやぁレイプ未遂だ。俺が割って入って止めた。まだ俺が交番勤務の頃の話だ。
しかし田端さんは内密に処理してくれといった。
そのときはなんて野郎だ、と思ったがよ。会社にでも知られたら色眼で見られるってさ。
普通に考えればさ、そりゃオカシイと思うだろ。確かにおかしかった。
それが機に娘は引きこもり、そしてグレはじめた。
俺は夜な夜な遊び狂うよな娘を何度も補導したもんさ。
だが田端さんはそんなことを会社に知られたら。って態度をとっていた。
その後、娘が夜の仕事について名前をあげて、深夜番組やらAVやらに出ても態度を
変えなかった。
しかしな、娘が死んだあの葬儀の夜、俺に話してくれたんだ。
会社務めで会社からの収入が途絶えたら、家族が生活を維持できなくなる。
会社の仕事が行き詰れば路頭に迷わすことになる。
会社務めには家族の揉め事はご法度、いや知られれば社外はもちろん
社内の誰の罠に使われるかもしれない。
まして取引先は海外の・・アメリカが主だったそうだ。
ひとつ間違えれば会社ごと潰してしまいかねないような取引を繰り返していたらしい。
だから娘が銀座のホステスになった時、形ばかりの絶縁をしたそうだ。
だが娘が死んでその葬儀に会社が届けたのは、小さな花輪ひとつだけだった。
なんのために娘を顧みず・・顧みなかったわけではない。
必死に無表情を作ってきたんだ。娘を愛せない父親がいるものか、と。泣いたんだ。」
皆本の目が涙で潤んでいた。
皆本にも確か娘がいたはずだ。
だが生まれつき呼吸器が弱く、幼くして亡くしてしまった。
あの夜か_。
あの20年前の事件の夜だったか。
「だからよ、だから田端さんにこれ以上罪を重ねてほしくない。」
オレは出口に向かった。
「忍田衛の出所の時間は?」
「出所時間は横須賀刑務所の判断だが、奴さんは腐っても元芸能人だ。
真夜中だろうな。一応刑務所には緊急配備を・・」
「身の丈3m近い奴が真正面から来ると思ってる?」
「あぁそうだな、だが念には念をだ。」
どこまで馬鹿なのか。オレは腹が立った。
「身の丈3mの超人ハルクが人目につかず移動するならボートを使うだろうな。
だから海辺から狙うか、海に近いところから奴を狙うだろう」
皆本が頷いているのがムカついてきた。
再び出口に向かった。
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