隧道



Krzysztof Penderecki - symphony no.3 passacaglia - allegro moderato



 ”いいか、これはお行儀のいいスポーツなんかじゃない。
 云ってみれば3分間の殺しあいだ。
 古来ローマ帝国の時代に奴隷どもがセスタスという鋼鉄の棘の付いた
 メリケンサックをつけてコロシアムで殴り合った。それがこの競技のはじまりさ。
 だから、これは見世物さ。最高に危険で最高に刺激的な見世物だ。
 なにせ殺し合いを見せてやるんだからな!
 だから客は喜んで安くはないファイトマネーを支払うんだ。
 だから見せてやれ、貴様の生きざまを!
 見せてやるがいい、貴様の死にざまを!
 金持ちのブタどもに見せてやれ!
 貴様の惨めな生きざまを!
 貴様の不様な死にざまを! 

 Ladies & Geltleman !

  今宵お集まりの紳士淑女の皆様!
 只今より今夜のメインイヴェントが始まります!
 さぁさぁお立合い。男と男の血肉を賭けた華麗なる殺人ショーのはじまりです!”




 久里浜の海辺に自衛隊の駐屯地がありその奥にひっそりと横須賀刑務所と少年院がある。
表は法務省の官舎やら自衛隊の研究所に挟まれ、裏は浦賀水道、東京湾が広がる。
なかなかの根性でもなければ脱走なんて出来やしない。
そしてこの地から釈放されたとして迎えのものでもない限りは、かなりの距離を歩かされる
ことになる。しかも忍田が釈放されるのは深夜帯であろうことからバスもなければ電車もない。
房総半島に向かうフェリーも動いてはいない。どのルートをとろうと始発までには相当な時間がある。
刑期を終え娑婆に放り出されたら、多くのものは人混みに紛れたがる。
寂しさからか、それとも追手を撒くためか。オレには分からない。
ひとりでいることに慣れているはずだろうが、痕跡を消したいがためか、人混みに紛れ込みたがる。
今まさに塀の外に出ました、という風体の男が歩いているだけで警戒されてしまうだろう。
それを奴らはいちばん恐れる。
刑期を終えたとしても、彼らに恐れ慄きながらも浴びせかける冷酷で無慈悲な
一般大衆の前科者を見る「目」という社会的制裁を。
 そもそも山と海に囲まれた陸の孤島でもあるこの場所から人混みに紛れるまでには
相当な距離と時間がかかる。それでも奴には時間だけは十二分にある。
今では人気の少ない房総半島金谷へのフェリーに乗るのは考えづらい。かえって目立ってしまう。
そのため久里浜の駅方面に歩くとするなら。JRと私鉄の駅がある久里浜なら。
横浜、東京と大都会に向かう路線に乗り込めば。すぐに人混みに紛れ込むことはできる。
だがそれは多くのものが辿る道。

 時間があるならば、更に裏をかくように動くだろう。
久里浜方面に向かう道から離れ山をめがけて消防訓練所の脇に進んでゆくと、
車に轢かれたものの霊が通るものに祟りつくといういわくつきの古びた隧道が口を開けている。
夏場でもなければ心霊マニアの酔狂な若者すらいないだろう。
奴はおそらくはこちらの道を選んで浦賀駅に向かうだろう。
その脇の道を登れば更に人気のないトンネルもあるが「横須賀警備隊司令」の「立ち入り禁止」云々
「警備犬」云々の看板に目を向けるなら近寄らないほうが無難と感じるだろう。

 よってオレは最終列車に乗り久里浜駅からこの川間隧道に歩いて向かった。
海岸線から山に向かい歩いてゆくと隧道が現れた。
忍田はこの隧道に向かってくる。
そして田端和俊もここを目指してやってくるだろう。
200m程の隧道を夜中に歩くというのはなかなかに気分が乗らないものだが
オレンジ色のライトが途切れた出口に近づくと、闇をより身近に感じた。
季節の変わり目の南風が湿った空気を吹き込ませたため濃い霧が立ち込めていた。
すぐそこは海辺なのだから吹き付ける風も塩辛く思えた。
南国を思わせるような巨大なシュロの木が霧の中で不気味な怪物を思わせた。
オレは隧道を出たところの曲がり角に身を隠した。
救急車が一台疾走して行った。
 次にタクシーが一台久里浜方面に入って行った。
それから約一時間車一台人っ子一人この隧道を通らなかった。
真夜中過ぎ、頃合いもよく丑三つ時_。
隧道の中から人の歩く足音の反響が聞こえてきた。

コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・
コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・

恐らくは忍田の足音だろう。
この近くに田端和俊も来ているはずだ。
なにやってんだ皆本は!

コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・
コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・

足音の反響音が徐々に大きくなる。
田端はどこにいる?
オレは暗闇の中を見回した。
茂みの中か、それとも植込みのあたりか・・!

コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・
コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・

オレは田端が忍田を殺すのを止めなければならない。
しかしどうやって。奴は今や超人ハルク並みの筋肉の化け物だ。
対するこのオレは素手だ。敵うはずないだろうが。
皆本、読み間違えて久里浜に行っちまったのか!?

コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・
コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・

足早に歩く足音は徐々に大きくなり隧道の端から猫背の忍田の姿が確認できた。
オレは背後に、いや近くに田端がいるのを体のどこかで感じた。
間違いなく忍田を狙っている。
どこから狙っているんだ、姿を見せろよ、どこにいるんだ。

コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・
コツ・・コツ・・コツ・・コツ・・

奴は隧道の終点にたどり着き、そこで立ち止まり。
深々と深呼吸をした。
自由な娑婆の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


   そのときだった。
  野獣のような雄叫びが霧の中に木魂して、
  巨大なシュロの木が霧の中で大きく揺れてその上から
  巨大な筋肉の塊のような”怪物”が忍田の上に飛びかかり蹴り倒した。
  蹴り飛ばされた忍田は血を吐きながら道路に転がった。
  身の丈250センチに達した”怪物”は攻撃の手を緩めることなく、
  忍田の体の上に馬乗りになり顔面をボコボコに殴りつけた。

  ころしてやる!
  ころしてやる!
  ころしてやる!

   オレは意を決して”怪物”に体当たりした。
  「コイツはあんたが殺しても意味のないようなゴミなんだよ!」
  ”怪物”はオレの体を軽々と投げ飛ばした。
  道路に転がったオレは突っ込んでくる車のヘッドライトが見えると、
  路側帯に転がるのが精一杯だった。
  車は急ブレーキ音立てながら左にスピンしながら”怪物”に激突し横転した。
  車は皆本の乗ったシルバーのプリウスだった。
  車から投げ出された皆本は頭から血を流しながら”怪物”に走り寄った。
  車の直撃を受けた”怪物”はさすがにダメージを受けたようで道路に転がっていたが
  起き上がるとシュロの木に投げ飛ばされめり込んでいた忍田目掛けて突進していった。

  ころしてやる!
  ころしてやる!
  ころしてやる!

  「田端さん、頼むからやめてくれ、これ以上罪を重ねないでくれ!」
  皆本の悲痛な願いは、誰の耳にも届かなかったようだった。
  オレは既に”怪物”が田端ではないことが感じてとれた。
  筋肉の怪物に縋り付きながら皆本は相も変わらず
  「これ以上罪を重ねないでくれ!」と叫んだが
  路上に放り出されるのが関の山で。
  殴り続けられ顔面が変形し発狂した忍田の悲鳴が濃い霧の中に響いた。
  皆本は今度は忍田の前に立ちふさがり田端に懇願した。

 「頼むから、やめてくれよ、こんな屑みたいなやつ殺しても仕方ないじゃないか!」

  男泣きの皆本の前に一瞬怪物もたじろいだようだった。
  だが団塊世代の泣きの言葉なんぞ誰の心に響こう。
  「捕まっても殺されてもいい、だが此奴だけはこの手で殺す。邪魔するな。」
  怪物は地獄から響くような声で言い放つと、忍田の首をへし折ろうと近づいた。
  そこに皆本が割って入った。

  濃い霧の中に銃声が響いた。

  そしてまた銃声が響いた。

  オレは即座に音のした方に走った。
  息も絶え絶えの怪物が路上に呻いていた。
  大胸筋と腹直筋がまるで別な生き物のように波打つように動いていた。
  前頭筋と笑筋と口角挙筋が苦痛に震え顔面神経痛のように顔が歪んでいた。
  そして皆本が血を流した腹を押さえて路上に転がっていた。
  忍田が皆本の腰の拳銃を奪い取り発砲したようだった。
  銃を構えたまま、忍田の奴はよろよろと立ち上がった。




「ハハハハ。この怪物は麗香のオヤジかよ!
このオレさまを殺そうとずっと付け狙ってやがったんだろ!
こんな落ちぶれたオレをよ!追っかけてくれるのはこの怪物だけだぜ!ハハハ!
最後だから言っといてやるぜ、おまえの娘のアソコは具合がよかったぜ!
ははあオレを素手で殺そうとして、例の筋肉増強剤に手を出したなぁ・・ウけるぜ!
だがな・・素手ってのは所詮、拳銃に敵いっこねーってことを、教えてやらぁ!」

皆本が思った以上に忍田はクズだ。何度刑務所に入ろうと更生なんてありゃしない。
銃を構えて悦に入った忍田は耳鳴りでもしていたのか、それとも霧が深くて気が付かなかったのか。
近寄るオレに気が付かなかったようだ。オレは懐かしの逮捕術で忍田を路上に伏せさせ
拳銃を奪い取った。

「でかしたぞ、平ぁ・・」
皆本が喜んだが、なんのことかわからなかった。
オレは拳銃をベルトに押し込むと、忍田の体を怪物の前に蹴り飛ばした。
忍田が逃げないように足に一発弾丸を撃ち込んだ。

「さぁこんな屑野郎、あんたの好きにしな。」
怪物はオレの行動に驚いたようだった。
崩れた顔の忍田もオレの顔を見て慄いた。

「てめぇデカだろ、保護しろよ!」

「悪いなオレはデカじゃない。
善良な納税者として貴様のような屑をムショで食わす義務はない。
貴様を始末したい人間がいるんだ。そいつに任せるさ。」

今度は皆本が弱弱しい怒りの声を上げた。

「てめえのどこが善良な納税者だ!田端さん。やめてくれ・・。」

しかし田端は・・いや”怪物”は。
その怒りの意思をエネルギーに変えて怪物と化した田端の筋肉のひとつひとつが。
一挙にアドレナリンが高まり、血液が一気加勢に循環し膨れ上がり、極度の興奮状態の中で
更に巨体を巨大化させた。はちきれんばかりのF-1のタイヤのような上腕三頭筋がもりあがり
大腿二頭筋が膨れ上がった。

ころしてやる!
ころしてやる!
ころしてやる!


忍田に拳銃で撃たれた跡の筋肉が盛り上がり、撃ち込まれた銃弾を弾き出してしまった。
全身真っ赤に変色した筋肉塊が忍田の体を左右の腕で持ち上げ
最後の泣き落としの演技を披露したかったであろう元俳優の体を引き裂いてしまった。

怪物の怒号が隧道に響いた。

忍田のバラバラになった体を放り棄てると、怪物は今度は苦しみだして路上に倒れこんだ。
まるで本人とは別に意思を持った筋肉たちがいま目的を失った田端本人に襲い掛かるように
痙攣し始めた。呼吸は荒くなり、激しい動悸がこちらまで伝わってくるようだ。
怪物は目から滝のような涙と、筋肉から洪水のような汗を流しながら。
そして顔面の筋肉の異常な収縮によりデコボコと顔を歪ませながら。
オレに云った。

「あんたぁ・・ありがとな。悪いが最後の頼みを聞いてくれるかい?」

オレはハットをなおしながら振り返った。

「聞くだけならな。」

怪物は怒りとも喜びともつかない呻き声を出しながら。

「私を殺してくれないか・・。」

苦し紛れに呟いた。

「悪いな。オレはカタギの人間だぜ。
人を殺めるような仕事はしない。
それに拳銃ぐらいじゃあんたは死なない。
そのうち暴走した筋肉があんたの心臓を押し潰すだろ。
辛いだろうが我慢するんだな。」

怪物は徐々に筋肉を収縮させながら田端の顔を見せながら苦痛を訴えた。

「頼むぜ、相当辛いんだよ。
瞼に向かって鉛玉をぶちこんでくれよ。
ここだけは鍛えようがないからな。」

「悪いな、オレは聞くだけだ。」

オレはそういって拳銃の銃口を田端の瞼に向けた。
オレは引き金を引いた。

昔嗅いだような火薬の臭いが湿気った霧の中に広がった。

田端の体が路上に崩れ落ちたが、ひとつひとつの筋肉は暫くの間
痙攣を繰り返していた。

オレは拳銃をハンカチで拭きながら、皆本の方に足を向けた。
腹から血を流し虫の息の皆本は、弱弱しい悪態をつきつづけた。

「てめぇのいったいどこがカタギなんでい!」

オレは皆本がもう後が短いのが見て取れた。
もう体も麻痺してほとんど動けまい。
皆本の動かない右手に拳銃を握らせ、痙攣を続ける筋肉の塊に向けて
残りの銃弾を全部撃ち尽くした。

「銃声がして響き渡っても、おいそれと警察も飛んでは来ない。
どうせ不良米兵が悪さしてんだろ。関わらないほうがいい。
街の人々は皆そう思うだろう。
警官もびびって聞こえないフリをするさ。
かつて皆本、あんたが米兵による田端和代に対する暴行事件を見て見ぬふりを
決め込もうとしたようにな。
だって、ここは横須賀だから。
本当は、そのときの情けない自分にケリを付けたかったんだろ。
他人にも裁いてもらえないような自らの腑抜けさを。」

皆本は歯ぎしりして悔しがった。

「あんたは田端を止めようと自家用車で跳ねたうえ忍田と三つ巴の乱闘となり
その間に二人を殺し、自分も撃たれた。
状況証拠じゃ、そうなるな。
どうせあんたはもう助からない。
全てを抱えて死んでしまえ。」

体の動かない皆本が震えながらオレに悪態をついた。
「貴様ってやつは・・。
貴様ってやつは、本当に俺のことが嫌いなんだな・・。」
柄にもなく涙を見せた。

「・・・そうだよ。」

オレは軽く皆本の頬を二回叩くと、立ち上がり霧の中を歩きだした。







       
 

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