本牧・事務所




Fred Karlin: FUTUREWORLD Theme 1976


数日振りに本牧の事務所に戻ると郵便物と金融屋の督促状がポストに山のように
押し込まれていた。階段を登ろうとすると一階のテナントのオタクのデブと出くわした。
知らぬ間に出来たフィギュアショップの店長で若いんだか歳とってるのかわからないが
鼻の上のニキビが弾けていて脂ぎっているのが不快だった。
店にはピンク色のナース服風の鋼鉄コスチュームのヒロイン
<アイアン・ナース>のポスターが貼られていて、店の前に屯する男たちの
手にもフィギュアが握られているのを見るとなんとも馴染みにくい違和感を感じた。
このデブのオリジナルなのか巨乳女子キャラをあしらった
厚手の生地で出来たエプロンを着用しているのが堪らなく辛かった。

アイアン・ナース?デニム地のピンクにアイボリー。あぁ、勘弁してくれ。

「あ・・、おひさしぶりでーす。」

軽く会釈するとデブは言葉を続けた。

「随分いらっしゃらなかったでしょ・・なのに夜も電気点いているから・・
あぁたいへんなお仕事なんだなーって思ってました。」

「どうも」オレの悪い癖だ。この一言ですべてを片付けようとする。

「まぁ、仕事ならそれぞれ大変なもんですよ・・」

どうでもいい言葉を並べながら先を急ごうとするとデブはにこやかに笑った。

「今度ウチに最新の3Dプリンターが入りましたんで、よかったら使ってください_。」
_?
オレが_?
いったい、なにに使うんだよ_?
その呆気にとられたような顔を察したのかデブはにこやかに声を張り上げた。
「・・フィギュアとか・・出来ちゃいますよ・・簡単に・・。」
・・あぁ・・。
そうかい。
・・・それじゃぁ、そんときは頼むわ・・。

無言のままオレは階段を登った。事務所の前に立つとデブが云ってたように
無用心なことにドアが開けっ放しで、ドアを開けて入ると別に荒らされても
いなかったが、オレの座るべき事務机のイスには短髪のオッサンが座っていた。

「無用心ですなぁ。平さん。あなた、自分たちの先輩なんじゃないですか。」

つい最近までオレの横で寝ていた坂東太郎が、にやついていた。
笑顔が気になる・・という表現であっているのか_?
タンタンの笑顔ならそれは額面通りに受け止められるが、この坂東太郎と云う男の笑顔は。
笑顔が気に障る・・という表現のほうが合っていそうだ。
それよりなにより気に入らないのは・・コイツがオレより若い、ということだった。

「用なんかないぞ、帰ってくれ。」

オレは開口一番そう告げた。
警察に関わると、ロクな目にあわない。


「そんな素っ気ないこと云わないでくださいよ。
あんまり大きい声じゃ言えないが、いまえらく面倒なことが持ち上がってましてね。」

オレは首を横に振った。
「知ったことかい。消えてくれ。」
すると坂東太郎は手を広げた。
「頼みますよ、自分たちもお手上げなんですわ。」
取り付く島もない。そのスタンスを忘れてはいけない。
「優秀な刑事さんたちがお手上げなんだ、オレがなに聞いてもいい方向に転がるわけがない。」
坂東太郎は一段声の大きく話した。
「だがあなたはこういう件のプロだ。実績もある。我々には手出しができないことがらにね。」
・・・いったいなんの話だ・・・。

「我々警察は法律が有ればそれを執行します。だが・・・そうでない場合。
法律が出来るのを待たねばならない。
しかし・・事態はそんなに悠長じゃない・・・。そういうケースです。」

あぁ・・そういうケースの経験はなんどかある。
だが、そんなものに手を出して、残るものと云えば後悔ばかりだ。
オレがなにかを口に出そうとしたとき、ヤツは先に話し始めた。

「我々はそちらのケースには手を出せないが、あなたの抱えている
別な問題については大いに手出しができる。
野毛のボンクラ共、あなたを目の敵にしてるらしいじゃないですか。
そりゃそうだ、末端価格数億円の合成麻薬を大岡川に投げ込んじまったんだから・・。
あれら、ここいら辺りにも出没してるらしいですよ。」
あぁ嫌な話を聞いた。

そして後頭部がズキンズキンと痛み出した。



野毛のボンクラ共_。

オレの記憶が蘇り始めた。
数日前_。いやもっと前か。
オレは依頼人のニートの息子がどうも薬物に手を染めているらしい・・
警察沙汰になる前になんとかしたいのだが・・・
そんな依頼を受けてニート息子の出入りした大岡川沿いのとある安呑みやを張った。
そこに出入りしていたのはニート息子同様のハイティーンから
三十代ぐらいまでの奴らばかりで合法ドラッグだか
マジックマッシュルームだか・・要するに合成麻薬の類を扱っていた。
表向きからして「合法ハーブ取扱店」と謳っているその店の奥には
その場で吸引をする場所がありそのときも数人が屯していた。
奴らとは歳も離れていたせいで端からオレは疑われていたにちがいない。
店に入った瞬間から薄らやばさを感じていた。
首筋と顔面左半分にタトゥーを入れたスキンヘッドの店員のいかめしい面
からしてやばかった。
「お客さん、どういう感じの・・をお求めですか_?」
オレは言葉に躊躇した。
「なぁに、ナニがナニしたとき・・わかるだろ、
オンナをひと晩じゅう逝かせ続けたいからさ・・」

別にバイアグラを買いに来たわけじゃないのだが、
こんな奴ら相手に合わせる言葉なんぞ
こちらは持ち合わせちゃあいない。
するとタトゥー野郎はオレの顔を覗き込みながら、
まるで値踏みをするように目の玉を動かした。

コイツは刑事か、それとも厚労省か、はたまた横浜税関か_?

「コレなんか、ぶっとびますよォ~。」
素っ頓狂な声でそういいながら、ガラスケースの中に入った
赤い袋に包まれた”商品”を指さした。
「ほぅ、どれぐらいぶっ飛ぶんだぃ?」
オレもオカマ声のタトゥー野郎をこの店の店主なのか、
時給1000円のバイトなのかを値踏みしながら笑ってみせた。
「そりゃぁ・・お二人で使えば二晩でも三晩でも・・」
互いの間の緊張感は高まっていた。

 レジの下に隠した密造拳銃でも手にされたら、お陀仏だ。
「使い方は・・難しいのかい?」
「煙草とおなじですよ。ただしゆっくりと吸い込んでくださいね、ゆっくりとですよ・・。」
互いに瞳の奥に見据えたまま息を沈めるような張りつめた空気の中・・
店内に流れたテクノ系の音楽が虚しく流れた。
その緊張感を打ち破ったのは、レジ後ろのカーテンの奥からの野太い絶叫だった。
タトゥー野郎は店の奥に引っ込むと、今度は軽々と投げ飛ばされてオレの方に飛んできた。
まともにくらっちゃぁ敵わない。
オレが避けるとタトゥー野郎の体は後ろの壁にぶつかった。
すると安普請の板壁はぶち破れて隣の部屋に転がって行った。
その裂け目から隣の部屋が「商品」の倉庫になっているのがわかった。
 だがそんなことはどうでもよかった。
レジ裏のカーテンの奥から出てきたのは、まるで生気のない白い顔した・・
いや・・生気がないというのはふさわしくないかもしれない。
汗まみれで、目と鼻から血を流しながら・・口にはなにか肉片を咥えて・・・
ひとことで表すならば・・・まるでゾンビのような
がっしりとした体形の男が野太い声を張り上げて突進してきた。
身長180センチの上、体重100キロといったところか。
オレは余りの形相に男の手に捕まり
そのまま板壁に押し付けられ隣の倉庫に倒れこんだ。
気が狂ったように・・まさに狂っているのだろう・・
手足を休まずに使いオレの腕といい顔といい殴りつけ引っ掻いてくる。
確かにこの男に漂うのは・・食欲、つまり・・コイツはオレを喰おうとしている・・
なおも男は暴れまわり・・オレは積まれた頭陀袋を男に投げつけた。
すると男は更に凶暴に暴れまわり、壁と云わずドアと云わず、体をぶつけて回った。
安い掘立小屋の店のトタン壁は崩れ去りオレは店の外に逃げ出した。
オレを追って男は店の外に出ると太陽の光に目を細めてうずくまった。
ゾンビでドラキュラなこの男を大岡川に叩き落とそうとして
積まれた頭陀袋を次々に投げつけた。
するとオレはなにものかに後頭部を殴られた。
川面の乱反射が眼に眩しかった。
意識が遠のく間に、男を取り巻く数人の影を観た。
口々に「錯乱が発生した」とか「緊急事態だ」とかいいながら・・。
ドラッグの使用中に錯乱状態に陥った男を取り押さえながら・・。
オレは二発目の痛打を喰らい、路地裏のアスファルトの上に倒れて・・。
目の前が暗くなった。


あのドラッグ屋のボンクラたちがオレを追っかけているというのか_。
それは面倒だ。
あのゾンビ野郎の顔を思い出すだけでも身の毛がよだつ。

「あのゾンビ野郎は?」

坂東太郎は他人事のように云った。
「先輩が踏み込んだ店の奥でドラッグだかハーブだかを吸引中に
錯乱状態に陥って、その場にいた男と女の顔を喰っちまって。
・・先輩を襲った後、黄金町のガード下でさらに数人に喰いついて大暴れして。
禁断症状だったんでしょうなぁ、突然苦しみだして倒れこんだところを
黄金町警察の警官が確保したそうです。
二日ほど苦しんで死にました。フロリダのゾンビ事件と同じです。」

「なんだそれ?」

「フロリダでバスソルトって合成麻薬を使った男が近くにいたホームレスの顔に
喰らいついて警官に射殺された。
・・という事件があったんですよ、先輩。」

坂東太郎が物知り顔で云うのが気に喰わなかった。
そんなやばい奴らに追われているとなると面倒だ。

取引はしない。保護してくれ。善良な市民の権利だ。

「先輩、勿論、野毛のボンクラのことはなんとかしますから。
おねがいしますよ。助けてくださいよ。
報酬のお支払いもしますので・・。」

背に腹は代えられない。だが押し通さねばならない意地もある。

「わるいな、金には困ってない。」

やせ我慢にも程がある。そのせいか声が震えている。

「先輩、あのゾンビ野郎・・先輩のクライアントの息子さん・・なんでしょ?」

あぁ、そのとおりだ。
金蔓に死なれては困りものだ。
わかったよ、話ぐらいは聞くさ。

「で、なにをしろと云うんだ?」

オレは空虚な気持ちでそう云った。
すると坂東太郎はへらへら笑いだした。
「先輩、そうこなくっちゃ。早速ですが出かけましょう。」

仕方がないこれもシノギだ。

「その先輩、とか云うの、止めてくれないか。気分が悪い。」









inserted by FC2 system