「なんて禍々しい曲を弾くんだ!」という言葉で、その旋律が刺激する感情が なんであったのかが分かった気がする。 「禍々しい。」その言葉の持つ恐怖感とおぞましさ。 しかし併せ持ったその魅力。 部屋に戻っても、やはりあの旋律が頭から離れず、 しかももう少しで答えに届きそうな、口惜しさ。 鼻歌を歌いながら、リズムを刻みながら。
チャッ,チャッ,チャッ,チャッ♪ チャッ,チャッ,チャッ,チャッ♪ チャッ,チャッ,チャッ,チャッ♪ チャッ,チャッ,チャッ,チャッ♪ ノートパソコンを開き、普段使いもしない音楽制作ソフトを立ち上げ 音楽の素養などない私が、リズムを刻んでゆくと 単調ながら、タンゴのリズムのループが出来上がった。
チャッ,チャッ,チャッ,チャッ♪ チャッ,チャッ,チャッ,チャッ♪ チャッ,チャッ,チャッ,チャッ♪ チャッ,チャッ,チャッ,チャッ♪
無限のリズムのループの上で あの「禍々しい」旋律を乗せてみる。 何かが足りない、あの旋律を。 頭で考えるのではない、感じるがまま。
チャチャッチャ,チャッチャッ♪ チャチャッチャ,チャッチャッ♪ チャチャッチャ,チャッチャッ♪ チャチャッチャ,チャッチャッ♪
「禍々しい」という言葉の魔力と魅力を 感じるがままに、与えられた旋律の中に 足りないものは、いったいなんなのか? 生理に任せた旋律を小川が流れるが如く
チャチャッチャ,チャッチャッ♪ チャチャッチャ,チャッチャッ♪ チャチャッチャ,チャッチャッ♪ チャチャッチャ,チャッチャッ♪
なんども繰り返しながら 三つの足りないものがわかりはじめて 「第四音階」「第五音階」「休符記号」の三つを パソコンのキーを叩き、補うと。 これが老人の意図した曲なのか_。 私のそのときの感激と云うのはなかった。 穴の開いたクロスワードが埋まったときの感動と云うのだろうか? いや、もっとクリエイティヴな、いやそんな言葉に置き換えられない もっと根源的なものにようやく辿りついたような、達成感のような 感覚に囚われていた。 なんとも数学の数式のように規則正しく整然と整えられており なんともプリミティヴに感情の深い底から激震のように震わせ ときとして刻まれるその鼓動は、能動的とも主体的とも一種攻撃的なものを感じさせ ときとして涙腺を刺激するような、激しい感傷を匂わせるメロディの流れとなった。 |