暗黒掌編工場 2013年2月のお題が”幸福の水瓶を買わされた少女”ってことでして

 なんだよ”水瓶”って。てなことで。あんまり馴染みがないものでして。

 アラビアン・ナイト風な寓話噺を書こうと思い立ちまして。 

 海外勤務が多かった不肖・平岩。行ったことがある場所じゃ面白くない。

 いままであんまり噺の舞台を外国に求めてこなかったのでありますが

(記憶にあるのは一作だけですかな。)異国情緒ってものをデスね。

 イスラームの香りのする・・でも特定の時代でも場所でもないインターナショナルな雰囲気と

 魔法と現実が交差するような世界・・

 え?するってぇと不肖・平岩初の「ファンタジー」って、ですかぃ?!

 世界中の国名を漢字表記にしたりアイテムを持ち込んだりらしさを出すように

 これでも苦労したんですわ・・・orz

 サウンドトラックはケテルビー先生の「ペルシャの市場にて」







 Albert William Ketelbey (1875-1959)
In a Persian Market
Intermezzo Scene with malechor - 1920

幸福の水瓶

 
  私の家は市場の外れにある安宿を営んでおり、父と母と弟で切り盛りしていた。
 宿屋とはいっても部屋は5つしかなく、そのひとつは老いた学者風の男にここ数年自宅のように 住まわれている。
  とにかく物静かな男で昼日中は部屋の中にいて外に出てこない。
 夕暮れから夜にかけて、市場を徘徊するか、王宮へ仕事に行くか。
 滅多に会うこともないし、話すこともないが、毎月きちんと部屋代を払うので追い出すわけに もいかない。
  この男がいったいどんな仕事をしているのか父も母も知らない。
 弟は「魔術師に違いない」とはいうが、父も母も請合わない。
 弟の言葉をいちど真に受けた父は男が支払う金貨が、石ころを魔術で変えたにせものではない か、と疑い
  一枚一枚歯で噛んでみたが、違いはわからなかった。
  市場に吉爾吉斯経由の隊商の一団が入ると一気に活気付いた。
 彼らの持ち込んだ綿花や煙草は質がいいため、彼らが市場に来ることを聞きつけると、山の麓 の村からも物資と交換する為に山羊をたくさん連れて三日三晩歩き続けて市場にやってくる。



 
 
  市場には様々な屋台が店を広げられた。色とりどりの鮮やかな反物が並べられ印度の各地か  ら集められたスパイスが盛られ、蒙古風の料理が香ばしい香りを漂わせる。
  私の家の宿屋も客が我先に押し寄せ、中庭では水煙草を吸いながら商談が始まる。ときに商  談は大荒れとなり、王宮から騎兵隊が出てくるときもある。特に荒っぽい亜富汗人や強欲な漢  人たちが絡むとひと騒動だ。だから父は亜富汗人や漢人は泊めないことにしていたが其処は商  売。金貨を払うなら、その決まりを無視した。なんでも私を豪商の若旦那に嫁がせて弟を天文  台の数学者にさせるには、とにかく金貨がいるのだ、と父と母は毎日、毎晩、わたしたちに言  い聞かせた。そのためにはおまえたちも働かなきゃならない。といわれ、毎朝、毎晩オアシス  に水を汲みに行く。


 
 
  市場が賑やかになると夜は夜で毎晩祭りのような騒ぎとなる。広東製花火が打ち上げられ哈  薩克の宮廷料理の店が開かれ、摩洛哥の奇術師が魔法を見せ、捷克の世界一奇麗な女奴隷たち  が裸で踊り、そして香港の賭博場が賑わう。
  印度の象の骨から切り出した直方体をバラバラと掻きまわしたり並べたりする4人で行うゲー ムはまさに一晩中行われているようだった。そしてその結果、一夜にして富豪となるものもいれ ば、身包み剥がれるものもいる。

  中庭に部屋を取った羽振りの良かった亜富汗人の老人が一晩で駱駝10頭分の積荷の全てと四  人の妻と六人の召使を取られてしまった。もう一文の金もない。其れを知ると父と母は王宮の  スルタンの兵隊たちにこの亜富汗人から宿代を取って追い出してくれ、と頼みに行った。
  父と母が王宮にむかうと、亜富汗人の老人は、おどおどしながら、私の前にひれ伏した。
 「お嬢様、私はもはや全ての財産と妻たち召使たちを失い、宿代も支払えない始末。しかし私  も哀れな年寄り。兵隊に捕まったら一生娑婆に出ることは出来ません。どうか最後に残ったこ  の<幸福の水瓶>を差し上げますから見逃してはくれませぬか。」と。
  弟は馬鹿馬鹿しいこんな薄汚れた水瓶でごまかす気か!と凄んだが、私は哀れに思えた。
 「この水瓶は波斯の魔術師から譲り受けた幸福の水瓶。
 次々に水が沸いて出てくる魔法の水瓶。
 この砂漠の町で暮らすにはとても重宝な品物。これで見逃してくれますまいか。」
 これをくれたら、あなたは本当になにもなくなる。それで生きていけるのか?と聞くと
 「これもアッラーの思し召し」と答えたので、仕方あるまい、私はその「幸福の水瓶」を手持ち の銅貨3枚で買うことにした。「アッラーのご加護を」と告げると銅貨を持って老いた亜富汗人 は砂漠に逃げて行った。


 
 
  弟は私を馬鹿だ、と罵ったが、その白い陶磁器の「幸福の水瓶」の蓋を開けると本当に水が  溢れ出した。
  御蔭で私は水汲みの仕事から解放されることとなった。
 この水瓶をみた父はあの亜富汗人は悪い魔術師だったのではないか、と疑い、水瓶を壊してしま えと云ったが私は泣いて反対した。
  そこで王宮に勤める常客の男にこの水瓶の鑑定を頼んだ。
 優男の常客は、これは東方の大河の交わる谷に住む大魔法使いの僕(しもべ)が作った本物の
 「幸福の水瓶」であると云った。私はとてもよろこんだが、常客の男は、これはスルタンに寄贈 すべきです、と云った。




 
  スルタンに寄贈すれば、私は妃にされるだろう、と云われたが四人の妻と数知れぬほどの妾を もつスルタンのいったい何番目の妃になるというのだろう、と思うとむかっ腹が立った。
 だから、断ると・・父は激怒した。 おまえが妃になれば我が家は安泰、豪商や貴族になれるか もしれん。と。
  私は寄贈する気も、売る気もないのだが、「幸福の水瓶」の話はすぐにスルタンの耳にも入り その水瓶を渡さなければ一家を全員逮捕すると云ってきた。
  宿屋は兵隊たちに包囲された。

 「これが最後だ。水瓶を渡さなければ家族を皆殺しにするぞ。」

 と云われたので
 
 私は。






 
こんなまち、全部流されてしまえ!



 
  そういって水瓶の蓋を開けると、堰を切ったように狂ったように水が溢れ出し
 一気呵成に、部屋を、兵隊たちを、そして市場を呑み込んでいった。

 兵隊も。役人も。常客も。商人も。乞食も。おとなも。こどもも。

 みんな。みんな。みんな。

 こんなにたくさんの水を見たことのない人々は恐れ戦き流されていった。

 乾いた泥煉瓦で造られた家も礼拝所も、激流に溶かされていった。
 駱駝も。馬も。象も。犬も。店も。馬車も。屋台も。市場も。

 みんな。みんな。みんな。

  激流となった水に呑み込まれ、流されていった。
 スルタンは「もうやめてくれ」と嘆願したが、水の勢いはとまらない。
 侍女も。ハーレムの妾も。皇女も。妃も。踊り子も。娼婦も。スルタンも。

 みんな。みんな。みんな。

 怒涛の如く水は全てを押し流し、全てを浚っていった。
 気がつくと私の家族だけが其処にいた。
 水瓶の蓋を閉じると、水は止まった。
 そこには水浸しの王宮しかなかった。
 弟が水底を浚うとスルタンの王冠が出てきた。
 畏怖のまなざしで、弟は私に王冠を着けてくれた。

  父も母も・・弟も。
 私の前に平伏した。
 私の王国は砂漠の真ん中にありながら水に困ることはなかった。
 如何なる敵が攻めてこようと、最強の軍隊が彼らを押し流した。 


 私はスルタン。

 「幸福の水瓶」を持つ女王。







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