宣伝用パンフレット


     



不肖・平岩がまさかの青春小説!“Single 8”の世界をより楽しんでいただくための
作中映画“SNAKE 2025”の「宣伝用」パンフレットw
え?不肖・平岩が青春小説?てめぇ調子こいてんだろ?
調子こきたくもなりますよ。
ほとんどは不肖平岩の懐古主義的な視線で書いた思い出話でございまして。
ほくそえんでおります。
たださすがに私もいい歳こいているんでw
お若い方々に時代背景を知ってもらったほうがいいのかな、と
思った次第でございます。

あぁ2011年、10年ぶりのジョン・カーペンター監督作品が公開されるそうで。
「ザ・ウォード 監禁病棟」!
絶対観にいけ!

・・・・・・・・・・・・・・・・

観に行けなかった・・orz
YOUTUBEで観よう!

    昭和75年(西暦2000年)
死刑制度が無くなり凶悪化した犯罪が多発し、更に海外からの犯罪組織の流入に
業を煮やした日本政府は東京の都市部を巡る山手線の内側全体を終身刑務所
TokyoPRIZONとした。
この刑務所に収監されたものはその生涯をその中で過ごすこととなる。

昭和100年(西暦2025年)
外遊から帰途についた首相の乗る政府専用機が羽田空港への着陸態勢に入った瞬間
なにものかの手により地対空ミサイルで迎撃される。
ジェット機は爆発炎上するが首相は辛くも脱出カプセルで脱出するが、
山手線内のTokyoPRIZONの中に落下。

青山付近に脱出カプセルの落下地点が示される。
首相救出のため、警察の特殊部隊が山手線内に乗り込むが首相は脱出カプセルから
転落死し、極秘機密事項の記されたマイクロフィルムを体内に飲み込んだと思われる
首相の娘が、犯罪組織に拉致された!

極秘機密事項は、米ソ中の三国が付け狙うもので各国の諜報機関がTokyoに押し寄せ
24時間以内に内容が確認されなければ核による攻撃を迫ってきた。
新型の非核兵器の詳細の封入されたマイクロフィルム奪還のため
選ばれたのは、独眼竜の国際的犯罪者スネイク・ケイン!
  
地球上で最も過酷なバイオレンスワールドと化した近未来の東京をさすらう
スネイク・ケインを付け狙う数々のギャング団たち。
果たしてスネイクは24時間以内にマイクロフィルムを奪還できるのか_?




溝口南高校映画研究部が萬を辞して製作したSFバイオレンスアクション映画!
構想2ヶ月、撮影に半年、特撮に一年をかけた渾身の超大作「SNAKE2025」が
いよいよ1982年の文化祭で公開される!

★出演者のべ120名!
野球部、バスケットボール部、バレー部、柔道部、卓球部、軽音部、帰宅部などなど
部活に関係なく囚人役でバイオレンスに暴れまくる総勢約120名の大エキストラ!
出ているヤツは全員絶対観ろ、三度観ろ!

★ 映画研究部の重鎮太田憲二が監督するSFXシーン!
たかが8ミリ映画だとなめちゃいけない!合成、アニメーションはたまた
マイコン部のつくったコンピュータグラフィックが斬新すぎる映像体験をさせる!

★ なんといっても圧巻のバイオレンスシーンの数々!
とにかく観ていて、血が逆流するほどの
“熱くて、痛いシーン”にこだわった拝島靖明監督。
役者にもスタッフにも鉄拳の嵐!
撮影連日ケガ人続出!「マッドマックス」も「ゾンビ」も霞むような
壮絶な暴力シーンが全編で展開される!

★ あっと驚くラストシーン!
緊迫のシーンが続くSFバイオレンスアクション「SNAKE2025」
しかし最後の最後に極秘に撮影された禁断のシーンが・・。
これを見忘れたら、一生の後悔。末代までの恥。
百聞は一見にしかず。

男なら黙って観ろ!
女なら友達つれて観ろ!

・・・・とにかく観ろ!
 


★ 迫真の演技
男臭いアクション満載の「SNAKE2025」
リアルなバイオレンスシーンを撮るために集められた体育会系の男たち。
本気出してやれよぉーッ!と監督の檄が飛ぶ。
バットで殴られ、チェーンで鞭打たれ、二階からダイヴするなど
熱い、熱過ぎる、過激なシーンの撮影を終え
傷だらけの主演の平岩隆は大声で訴える。「これは演技じゃねぇ!」と。

★ 超大作には超大作と呼ばれる予算が必要だ。
なんとこの超大作を実現するため映画研究部の面々は小遣いを貯めるばかりでなく
約一年間バイトを続けその一部を制作費に当てていたのだ。
泣けた人はカンパするように!

★ 音楽は軽音楽部の重量金属音楽バンド:アフガンロッカーズ
我が校が誇るヘビメタバンド:アフガンロッカーズがSNAKE2025を
音楽で支えてくれている。
聴け!魂のシャウトを。聴きまくれ!

★ 主題歌は我が校が誇るアイドル、
これを聴かずしてアイドルを語ってはならない。
聖子がなんだ?明菜がなんだ?キョンキョンなめんなよ?
我が校上げて応援するマサエちゃんが”SNAKE2025”の主題歌を歌ってくれた!
男なら観ろ!聴け!歌え!  





これは小説ということで飽くまで架空の話なんですが、そのほとんどは作者の周りで起きた事実を
書いてしまったもので、ほとんど私小説というか懐古主義の産物であります。
ですから作者の周りの環境を説明しなければご理解いただけないのでは・・と思いまして
この“パンフレット”を書くことにしました。

時代は1982年(昭和57年)を想定しています。
当時はアイドルブームで中森明菜とか松田聖子とか小泉今日子とかアイドル歌手が
いっぱいいてベストテン番組が一週間に何個もあって鼻歌には事欠かなかったです。
作者は中森明菜の追っかけだったのですが・・。「少女A」とか「セカンドラヴ」とか
シングルもLPも買ってました。
共学の高校だったのですがなぜか男女比9:1という擬似“男子校”だったものですから、
テレビ番組は金曜日の夜八時といえば勿論。「ワールドプロレスリング」でした。
アントニオ猪木が社長を務めていた新日本プロレスの番組だったのですが、後釜と目されていた
藤波辰巳もさることながら、長州力やアニマル浜口の“新日維新軍”が当時のボンクラ共の魂に
熱い火をつけていました。初代タイガーマスクが活躍していましたなぁ。
あぁ古舘 伊知郎さんはこの番組の実況で人気を博してました。

この年公開された映画「ニューヨーク1997」という映画がありまして
マンハッタン島を監獄にしてしまうというアクション映画であります。
監督はその頃メキメキと頭角を現していたジョン・カーペンター監督。
とにかく“安い”“早い”“上手すぎる”という吉野家の牛丼のような映画監督で
台本も書くは、監督はするは、自分で音楽も作っちゃうは・・というオレ様監督。
そのどれもがキッチュというか、当時の映画少年たちに「ひょっとしたら」
“ちょっと手を伸ばせば、手が届くかもしれない・・。”な幻想を抱かせた張本人。
今回の小説で取り上げた映画のタイトルは架空のものなんですが内容はそのまま
ほとんど「ニューヨーク1997」のまるパクリ。
後日この映画を自主映画発表会みたいなところに持っていったんですが
そのほとんどが眼帯に無精ひげという極悪ヒーローが出てくるものだらけ。
そのぐらいに特に当時の映画少年たちに愛されていました。

別な角度からこの時代の映画少年を紹介すると・・。
70年代に入って斜陽産業の代表格と呼ばれた映画産業がそのころ作っていた映画
というのが金はないところで兎に角、客を煽って集めろ!的な時代でした。
ハッタリの利いた宣伝文句とエロ・グロ・怪獣が満載の毒々しいまでのポスターが
町中に貼ってあったものでして。
日活ロマンポルノのポスターなんか街中に普通に貼ってあったんだ。
子どもの頃から恐怖映画のポスターやコマーシャルで多感な頃の性徴を捻じ曲げられ、
そのほとんどは両親によって黙殺されるなか、「エクソシスト」とか「オーメン」とか
キワモノ映画の「コマーシャル」で洗礼を受けてきた世代ですね。
私は観てはいないんですね、劇場では。テレビ放映で初めて観ました。
オカルト映画を。だって当時は親が絶対に見せてくれなかったから。

ところがどういうわけか「ジョーズ」は親といっしょに観にいったんだな。
もう恐ろしいわ、凄いわ、大迫力だわ・・サメが夢に出るどころの騒ぎじゃない。
トラウマというより、なんなんだ、この面白さは!このとき私、10歳ですわ。
以来、中学にあがって「スター・ウォーズ」で「未知との遭遇」。
もうこのときすでにスティーヴン・スピルバーグ監督というのは“神”だったわけでして。
まぁほとんど同い年の共有体験として“スピルバーグ“は当時から有名監督でしたな。

それに比べるとジョン・カーペンターというのは。
例えるなら社長試合の“アントニオ猪木=スピルバーグ“に対する
新日維新軍”長州力=カーペンター“という図式にも似たように思っていたのか、
やたらと熱いファンが多かった・・というのが立ち位置ですか。

あと当時、STARLOGという雑誌がありまして。
映画雑誌なんですが、他の映画雑誌と違って“特撮”に特化した雑誌でして
元気の無い邦画の特撮に対し、「スター・ウォーズ」以後活況を呈していたあちらの
特撮映画の舞台裏を事細かに載せていた雑誌でした。
アニメファンに比べて寂しい思いをしていた“特撮ファン”の必携の雑誌でしたな。
いまではCGでなんでも出来てしまうわけですが、当時はSTARLOGで紹介された
コンピュータ制御のカメラなんてものが最先端で、特撮を“SFX“と呼んでいましたな。
ただ当時の最先端技術だけではなく、円谷英二とかレイ・ハリーハウゼンなどの洋の東西を
問わず偉大な特撮の先駆者たちの作品を解説したりしていて、「地球防衛軍」の敵味方の
火薬の違いとか、「地球へ2千万マイル」のイーマ竜とか「恐竜100万年」のアロザウルスとか
のモデルアニメーションの模型の作り方などなど、熱心に眺めたものでした。

あと語るべきは・・8mm?
そのまえにデジカメってものが無かったものですから
写真といえばフィルムを使ってましてね。
ということはフィルムを購入して、撮影後は現像するという工程が必要になるわけです。
工程が増えれば出費がかさむ訳でして。
フィルムというのは撮影に失敗しても消すわけにはいかないし、現像しない限りは
成功も失敗もわからない
という、今では考えられないほど面倒なものでした。
だからこそ?とても真剣に写真というものに向き合ってましたね、カメラマンは。
一般の写真もそんな感じでしたからムービーカメラともなると時間も短いし、
材料費も現像代も必然的に高くなるわけです。
家庭用とは云え、高校生にはなかなか高額なものでした。

あとビデオについて語りましょうか。
私の小学生4-5年ごろ松下電器のマックロードとかソニーのベータマックスとか
家庭用ビデオというものが発売されましたが、とても高価なもので金持ちの家の
テレビの上に燦然と輝いて置いてありましたなぁ。
テレビ番組を録画することを主目的にしたものが多くてビデオカメラなどというものが
出てくるのはまだまだ先の話で。レンタルビデオなんてものも無かったな。

その頃の話で、「タワーリング・インフェルノ」という超高層ビル火災映画がありまして
ハリウッド自慢の超大作パニック映画だったんですが、
これを洋画枠で二週に分けて放映したんです。
まぁ対岸の火事ほど面白いものは無いわけで、当時の小学生がテレビで見て大火災シーンを
見て大興奮して。


ところが、これから・・ってぇときに・・「次週予告」になるわけですよ。
それで翌日から学校で「タワーリング・インフェルノ観たか?」となるわけですよ。
完全に消防士のスティーヴ・マックィーンになりきった小学生が、翌週まで待ちきれずに
テレビ局(しかも地方局)に電話をかけるんですな。
「すいません、タワーリング・インフェルノのつづきって早くやってください」って。
これが冗談でなく、しかも相当数あったようで新聞の投書欄にも載ったほどでした。
いまじゃ想像もつかんでしょうけどビデオなんて夢みたいな時代。
だからビデオで映画を撮ろうなんていうのはまだ一般的ではなかった時代ですね。

私、ビデオデッキ買ったの社会人になってからですからw


そんな時代の話なんです。「Single 8」は。 







     
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