正蔵は部落いちの熊撃ちだ。
猟銃の手入れにも余念がない。
今年の夏の“やまいり“の日を前におとこたちと火薬小屋で火薬を練っていた。
いちばん近い鍛冶屋まで4日ほどかかるこのいちばん山深い部落では鉄砲といえば
おとこのいちばん大切な仕事道具だ。
だから皆だいじに取り扱うので、いまではさすがに火縄を使う者はいないが
日清日露の戦いの戦利品として持ち帰ったものがほとんどだ。
正蔵の手にしたのは先代が借金してまで買った村田銃。
とにかくこの部落の少ない現金収入である熊の三頭分。
先代は単発銃で弾を準備する間に目の前で仲間がクマに食い殺されたのを機に
自動装填式連発散弾銃を手に入れた。
それ以後、今日に至るまで、だいじにだいじに手入れを続けてきた。



“やまいり”は年に一度、夏の終わりに、蝙蝠谷に分け入り、冬の支度として
けものを狩る行事であり、部落ではイノシシより大きなものはこの数日の間に
狩ることが暗黙の了解としていた。
この三日間の狩猟の前夜には、修験者さまが一晩中護摩を焚いて山の神に
山に入ること、生きるための糧を狩ることをお許しを願う。
この三日間の猟の安全を、そしてこの三日間の猟の成果が豊饒なものとなるように。
修験者さまは祈り、おんなたちは酒や貧しい穀物を備えて祈る。

正蔵は歳はそこそことっていたが、年寄りに組するほどではない。
だが、腕を見込まれて猟の長を務めることとなった。
となれば、猟の前夜の宴で皆に言い聞かす話は昔から決まっている。

まずひとつは、山の神さまへのいやび。
この山深い部落での信仰の対象は、かむやしろの神でも寺の仏でもなく_。
ほとんど独自色の強い、この山にいるとされる神であった。
正蔵の父はやはり古くからこのあたりで猟師をしていたが、深く山の神を崇敬し
山の神とは“山”それ自体だ、と亡くなる直前まで正蔵に教えて聞かせた。
長老は山の神さまとは、この一帯の山の最強の動物であるクマである、と
皆に教えていたことがある。しかも他のクマよりひとまわり大きい首の周りに
白い毛の生えたツキノワ。ツキノワこそが山の神であると。

 修験者さまはそれとは別のなんとも奇天烈なものが山にいて、
山の自然事態を支配しているといった。
現に修験者さまは山の神さまのものといわれる牙の化石を持っている。
蝙蝠岳のあちらがわで見つけたらしい。
確かにクマのものではないが、ひとの物に近いような、しかしそんな大きな犬歯が
人間についていたら、怪物のようだろう。
正蔵はそれが“山”自体であろうと“クマ”であろうと“大きな牙をもったなにか”
であろうと。我々に恵みをもたらすものには違いはなかろう。
だから山の神さまに感謝するのだ。

次に、狩猟によりもたらされるであろう“恵み”への注意。
または猟の「掟」について
山の大自然に抱かれて、生まれ育ち、一種過酷な環境の下で。
できるだけ互いに合わないように生きてきた。
それが山での生き方の作法で。
合えば、生き残るために殺しあわねばならない。
必ずしも強いものが勝つということでもない。
勝っても深い傷を負えば死んでゆくだろう。
これは生きるための闘争。
出合ったら、殺す。
殺さねば、殺される。
だからこそ、殺した後相手を敬わねばならない。
出来るだけ苦しませずにひとおもいに殺してしまわねばならない。
そして、その血肉は肉の一片、血の一滴にいたるまで
だいじにだいじに扱わねばならない。

次に猟の安全を神に祈る。
三日間で冬のしのぎに必要な分だけでいい、恵みをお分けください。
その際に鉄砲を用いて狩りをしますが、部落の者がみな安全に帰れますように。
さすがにここ数年はおっきな事故はなかったが、手首を食いつかれたり
鉄砲で指を吹き飛ばしたりという事故はついて回る。
何事もないように皆で安全を祈る。

岩塩と酒で身を清め、朝日と共に“やまいり”が始まる。









     
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