町外れの寺の下を流れる川にかかる小さな橋を渡ると傾斜の緩やかな坂道になり
両側に広がる稲刈りの光景を眺めながら、ゆっくり上っていくと街道に出る。
運転手はハンドルを左に切ると樫の木を繰りぬいて作ったとされる自慢の車体は
ギシッと軋んだような音がした。
伊太利亜のトリノのフィアットの車を模したとされるこの三菱A型のセダンタイプは
我が父君、佐佐木原清人(ささきはらきよんど)男爵の自慢の車だ。
日露戦争で敵軍に壊滅的な損害を与え、終戦後は兵役を退き露西亜の土地で学んだ
製薬と神秘の学問を元に一大製薬工場を信州の静かな湖畔に設け、財を成した。
“国家ニ勲功アル者“として男爵の爵位を与えられた立志伝中の人物にして
最近では“美食家”もしくは“放蕩もの“という謂われかたをされる人物。
私はそんな父君に会ったことがない。



農村の生まれのぼくは“ぼくの父”と母と一緒に暮らしていたが、“ぼくの父”は
出征して激戦地と名高い203高地の戦闘で帰らぬ人となってしまった。
それからは母とぼくは二人で農作業に明け暮れていたが、偶々薬剤の材料の
買い付けにこの地に立ち寄った佐佐木原清人が、母を見初めて。
その日のうちに結婚を申し込み、ぼくを寄宿舎のある私立学校に入学させるのを
条件に、母を信州の湖畔の洋館へと嫁がせた。
金に困った上のことであったかもしれないが、母の父を裏切るような行為が許せず
また貧乏な小作人から私立学校へと突然変わった状況に戸惑ったのも事実だ。
だが学校を卒業したぼくに大学への推薦状を書いてくれたのも佐佐木原清人であったし、
その学費、生活費など金銭面、物質面でなに不自由のない生活を与えてくれたのも
佐佐木原清人である。
そのことからぼくは恨みがましい心根はなくなり、むしろ感謝する気持ちでいっぱいだった。
しかし、大学での研究も忙しく母親への手紙だけは欠かさなかったものの
佐佐木原清人には一度も会わずにこの数年間が過ぎていた。
だが、信州から電報が大学の寄宿舎に届いた。

「君ノ結婚式ノ準備整ヘリ」と。

まず突然の電報に驚いた。
そしてその突飛な内容に驚いた。
まだ学生であるぼくに結婚をしろというのか_。
いったい誰と?
まぁしかし結婚の相手など、家長の決めること。
だとしても、ひと目たりともあったことのないどこの娘とも知らないものを
一生の伴侶としろというのは如何なものか。
佐佐木原清人。男爵とはいえ、なんと身勝手な男だ。
と訝しがってみても、それを跳ね返すほどのファム・ファタールに出逢ったことも無く、
貪るように求め合うような欲情も、春の陽の如き浪漫に身を焦がしたこともいまだなかった。
さらに母親の立場、そして勿論ぼく自身の立場を考えてみても
無碍に断るわけにもいかず、先の電報の続きにあった佐佐木原清人が
差し向けられた車、つまり、この三菱A型に乗り込むこととなったのだ。
ぼくの頭の中には佐佐木原清人男爵云々のことなど片隅にも無く、
久しぶりに会う母親の姿しか無かった。







       
       

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