数日の間、ニーチェに浸透しながら、花嫁に遭うことも許されず
結婚式当日を迎えたぼくは、朝からモーニングコートを着用させられた。
雲が垂れ込めたどんよりとした天気模様。
使用人たちは賓客たちの着付けなどにも忙殺されているようで
いつものようなゆったりとした空気ではなかった。

親族が集まり・・親族といっても佐佐木原清人男爵と妻である私の母。
花嫁側の親族は居なかった。花嫁側の親族の代行として執事長の澤木が出席した。
いよいよ花嫁の惠梨香と対面する・・はずだったが体調が優れないとのことで
結婚式の時間を遅らせることとなった。
式場は今日のために内庭にわざわざ作られた白木作りの拝殿。
産土の神である山の下の白洲神宮より神官を招き行なわれる。
太鼓が打ち鳴らされ、私は白無垢姿の惠梨香と対面した。
だが顔の前に眼だけを出した布が張られていて顔を見ることは出来なかった。

神代の昔からイザナギ・イザナミの二柱の神々がされたのをはじめ、それに倣い
年頃の男女が夫婦となることは、これ自然の営みであり両家存続の戦略でもある
ゆえに本日結ばれるこのエニシが末永く続き、両家、はたまた国家の礎とならんことを
願う・・というような内容であったか。

神官の奏上する長い祝詞を聞きながら、神の存在についてぼんやりと考えてしまったが
となりの娘がどんな女なのか気にならないわけが無く・・。
唯一見える惠梨香の眼が涙に潤んでいるのが見えたとき、ぼくは正直ほっとした。
参列者全員で神酒を飲み干し式は終了した。
式場を離れるといよいよ垂れ込めた黒い雨雲は泣き始めた。



続く披露宴は洋館のダイニングホールで準備がされていた。
だが、惠梨香は目眩がするとのことで、席をはずすこととなった。
花嫁のいないまま披露宴会場に向かうと、正装の賓客たちに迎えられた。
室内楽の四重奏団が明るく、テンポのよい曲を演奏した。
簡単なセレモニーのあと、運ばれてきた料理に仰天した。
音も無く突然、窓の外から貫く稲光に浮かぶその料理に息を呑んだ。
これが、ジビエなのか。
野ウサギの一匹丸ごとを煮込んだようなグロテスクの極みのような料理が
運ばれてきたときには卒倒しかけた。ぼくも部屋に戻ってしまいたかったが
主賓でありホストでもあるぼくが抜けるわけにはいかない。
賓客である食通たちは、喜んでリエーヴルを食しながら歓談していた。
佐佐木原清人男爵は執事長の澤木に合図し、給仕たちがメイン料理を運んでくる。
メインは野ウサギではない。
佐佐木原清人は誇らしげに甲高い声を張り上げた。
「今日の目出度い日に、特別にご用意させていただきました。グルーズでございます。」
グルーズ・・雷鳥・・なのか・・天然記念物の雷鳥を食すというのか。
驚きと歓声に包まれて賓客たちはその珍品料理に舌鼓を打った。



*  *

披露宴は粛々と進行し、いよいよクライマックスとなった。
新郎による両親へのあいさつである。
 涙を誘う場面だと聞いていたので、何を話すか何日も何日も頭を悩ませ考えてきた。
「おとうさん、おか…(ゴロゴロピシャーン)…ぼく…(ドーンゴロピシャッ)…うございました」

 突然の窓を激しくたたく雨、ぼくのスピーチは・・・。
轟く雷鳴によりかき消されてしまった。

*  *






というよりはぼくの話など聞いているものなどいない。
なんと空虚な。
新婦の姿の無い結婚式といい、この披露宴といい・・
いったいなにを考えているのだ。
主役たるぼくが思うのだから、あぁぼくだけじゃない。
この異様な状況に美食家たちの空気も冷え始めていた。
酒に酔った巨漢の貴族院議員が品がない笑いを浮かべてがなりたてた。
「しかし花嫁の姿のない結婚披露宴など奇妙奇天烈だな、どうしたもんかね?」
すると佐佐木原清人男爵は高らかに笑い声を上げて立ち上がった。
「花嫁はちょっと臆病になっているのです。
マァリッジ・ブルーとでもいいますかね。人前に出るのを怖がっているのです。
しかし本日はめでたい祝いの席です。澤木、花嫁を隣室から呼びなさい。」
すると執事の澤木は頭を下げると、隣室に居るとされる花嫁を呼びに行った。
「さぁ、花嫁の入場です。」佐佐木原清人男爵は誇らしげに紹介すると
四重奏団はビバルディを奏ではじめた。
純白の絹の布で仕立てられたウェディング・ドレスを着た華奢な女性を澤木が
エスコートしてくる。
まさに神秘のベールに隠されたその素顔を見せぬまま、
一歩一歩、慎重に歩いてくる。
そして、ぼくの隣の席に座った。
「新婦の入場です。我が国が誇る軍神大河内晴弘大佐の愛娘にして
本日、私共、佐佐木原家に嫁ぎました佐佐木原惠梨香です。」

佐佐木原清人男爵は花嫁を紹介した。

「西比利亜の氷の中で我が友イゴール・ブルツェフ将軍の手により発見された
露西亜の山の神ズヴィズダー・ガラー・スィニエーク、スニガヴィークの蘇生細胞と
我妻の卵細胞と冷凍保存した大河内晴弘大佐の精子が融合して出来た、
今、地上でもっとも神に近い人間の形。
それが惠梨香・・つまり今日の花嫁です。」

いったいなんなんだ?

ぼくはその異常な発言に驚いた。
しかしこの宴席に集まった男女は拍手喝采し、中には涙するものまで居る。

「我妻の卵細胞を使用したことで、我が息子一郎と細胞的な親和性高いはず。
この私の愛息子、愛娘の間に生まれる子供こそは我が一族の。
いいえ人類の新たなる進化を遂げる存在となるはず。」

伯爵夫人などはハンケチで涙を拭っているではないか。
ベールがゆっくりとはずされると、露西亜人のような白い肌、日本女性の誇る
烏の濡れ羽色の黒髪、大きく野生的な眼、なんとも物欲しげに半開きな大きめの口・・。
総じて言えば。
この世のものとは思えないほどの美女が、この状況を理解できずに不審な挙動で
オドオドと周囲を見回している。
ぼくの股間に血流が流れ込み不覚にも勃起してしまった。

「さあ一郎よ、指輪をはめてやれ。」

ぼくは惠梨香の細く白い指に指輪をはめた。
そのとき(ドドーンピシャーッ!)と雷鳴が轟いた。
すると呼応するように惠梨香の表情は強張りそして悲鳴をあげた。
雷鳴より大きな声で野性の雄叫びをあげるように。

うヴヴヴヴヴヴヴぅぅぅぅぅぅぅぅーっ

その猛々しい叫びに怯んだのはぼくだけだった。

母も感極まって涙している。
ぼくの頭の中では「近親相姦」とか「獣姦」とか「犯罪」的な
いやそのまえに「変態」的な言葉がめくるめくように廻り
その言葉の持つ「嫌悪感」に吐き気を催しながら
また得も知れぬ「耽美さ」に揺すぶられ、酔い始めていた。

集まった賓客たちの満場総立ち拍手に包まれ披露宴は最高潮に達した。
しかし惠梨香は興奮し叫び声をあげるばかり・・いやこれは新たな門出を
彼女なりに祝っているのだ。
ぼくはそう思うことにした。
これが我が伴侶なら。それはそれでもかまわない。
ぼくと惠梨香の間に生まれる子供こそが、超人であるのかもしれない。
そうすればぼくと惠梨香はアダムとイヴであり
イザナギとイザナミであるのだ。

そう思うといままでインモラルに考えてきた全てのことが、とても些細なことに思えてきた。
これから繰り広げる飽くなき欲情にまかせた淫儀に想いを馳せると
ぼくは惠梨香に負けないほどの雄叫びをあげてみせた。
集まった貴族たちは歓声を上げ、ぼくの雄叫びに合わせて、大声を上げた。
佐佐木原清人男爵は高らかに笑った。

自重していた母すらクスクスと肩を震わせ、やがて大声で笑った。
このダイニングホール全体に漂う甘い耽美な退廃に満ちた香りよ。
あぁ人類の進化のために、いざまぐわおうではないか。
新たな清新な進化がここから始まるのだ。









     
       

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