佐々木原清人男爵の賓客たちはやはり爵位を持つ貴族院議員、
帝国陸軍時代の戦友である士官、そして資金供与している帝國大学の医学薬学関係の博士
という著名な面々だった。
繋がりがありそうで、なさそうなこれらの人たちの共通点は“美食家”である、
ということだ。
丸々と太った三人の大男、そしてその家族らが、ぼくの結婚式に招かれた賓客らしい。
夕食の時間となり、エントランスホール奥のダイニングホールに向かった。
シャンデリアに燈されたランプの数の多さに驚いたが、その下の大きな円卓に
一同が会し男爵らが数日前に狩ったコルヴェールを食した。
ぼくは仏蘭西の料理は初めてで戸惑ったが、帝國ホテルから引き抜いたという
コックの腕がいいのか、とても美味しく食した。
そこでぼくは賓客に紹介された。
近くの盆地のブドウ園で獲れたブドウで作られたというワインを煽ったせいで
直ぐに酔ってしまった。
そのため早めに自分の部屋に引換し、大きな革張りのソファに横になった。

メイドさんが水を運んでくれたので、飲み干す。
するとメイドさんはぼくのパジャマへの着替えを手伝ってくれた。
おんなの前で肌を曝すことに抵抗があったが、酔っていたため「仕方ない」。
あぁ酒はこんなにも人間を怠惰に堕落させるものなのか・・等と思いながらソファで
うつらうつらとしていた。


いつしかメイドさんも居なくなったようで、ランプの灯火が最小限に絞られ
此の世とも幽世ともつかない眠りの淵の不思議な世界に浸っていた。
就寝前にこころをリラックスせよというのか、ここちよい気分にさせるような
甘さを持った香が炊かれているようで、いや、催眠作用をもたらすのか・・或いは催淫作用を・・。
ギぃっとドアが音をたてて、なにものかの足音が響いた。
うつらうつらとしているわりに、不思議に聴覚だけはかえって鋭敏になっているようだ。
まぶたは重く、体も重く・・しかし“感覚“だけは・・自分でも驚くほどに明瞭・・。

その足音は、靴を履いていない。靴下をも履いていないのかもしれない。
床に直に肉が触れるような音。
小さな歩幅でと、と、と、と、と、と右から左へ歩いている。
私の座ったソファの背後を。同時に軽やかな足音だがそれが重さを持ったもの
であることを感じ、ソファによこたわる
ぼくに対して一種の動物的な“警戒感”をもっているのを感じた。
ぼくの頭の中を駆け巡るのは・・肥え太った鼠?いや先程のグロテスクなイメージが
残った為か野うさぎが迷い込んだか・・いやその程度の質量ではないはずだ。
やがてその息遣いが聞こえてきた。クンクン、クンクンとぼくの臭いを嗅いでいるようだ。
ランプの弱い燈が揺れて、背後に居るものの影が見てとれた。
巨大な・・小動物などではない・・人間だ・・。



次に脳内に浮かんだのは“泥棒”という単語だった。それは「強盗」を意味し
と、同時に「殺される!」という恐怖の感情が湧き上がった。
しかし、体がまるで麻痺したかのように動かない。
窓の外では稲妻が閃いた。脳細胞の神経の間に電気信号が繋がりひとつの推測を
おぼろげながら形成し、恐怖と絶望的な危機感がそれを一気に鮮明化させた。
“この香が麻酔状態を作り出しているのではないか!“
ぃゃそんなことはない。ならば背後に息を潜めているものはいったいなんなのか。
香の嗅がずにいられるのか。そんな陸上生物がいるというのか。


“幽霊・・”


逃げ場の無い恐怖から眼をそらすように。否。
「怖いものみたさ」といういにしへからの人間の性が眼球を動かした。
ちょうど窓が見えるところまで動いた。
ガラス窓の外は激しく雨がたたきつけている。
雷鳴が轟き、激しい稲妻が窓の外を真っ白に染めた。
すると窓辺にたたずむ者のシルエットを鮮烈に私の脳裏に叩きつけた。
二度目の閃光では横を向いていたのだろうその者の、ぼくを凝視する眼を
鮮明に見えた。
その人とも、人でないものともつかないまさに幽玄な姿に。
恐怖の中に、なにかとんでもなく美く、儚げな姿を見出した・・
だが次の雷鳴に呼応してその者が発するなんともしがたい奇声に
身の毛がよだち、ぼくは恐怖のあまり気絶してしまった。






     
       

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