Duke Ellington - Caravan

#5 Caravan

あのリアリストでマキャベリストの皆本がぶるっているのだから
この件はなにか気まずいものが係わっているのは間違い無さそうだ。
だがオレは自分自身とタンタンの身の安全のため、
いまさらこの件から降りるわけにはいかない。

オレはタンタンの店の前で待ち伏せてチャーリーを捕まえた。
そしてチェンタイについて尋ねた。
ヤツは五年前に死んだのか、そうでないのか。
いったいなにがどうなっているのか・・。
事情通そうなこの男に聞いておくのは損なことではない。

チャーリーと言う英語名は嘗ての客だったアメリカ人船員に付けられた名前だそうだ。
「チャーリー・ブラウン」てな漫画があったが、あれからとられたらしい。
「御贔屓いただいているお客様ですからお話しするんですがね。」
チャーリーは丸眼鏡を整えて改まった表情をした。
あいかわらず勿体ぶりやがる。
「私もオーナーから聞いた話なんですけどね。」
例の“ハマいちばんのやり手ババア”か_。
「あの方たち、つまり中国の沿岸部出身の人間に伝わる伝説があるらしいのですが。
“海に生まれた私たちには海の神様がいる。
海の神様はこの世の最初を作り、私たち人間をも作ったが、
蛮族の手により追われて海に逃げたのです。
海の底から我々を守り導きながら、再度地上に君臨するために。
いまは海の底にいるが、いまに地上に戻ってくる。
だから私たちの故郷では死んでしまうと遺体を海に戻すのです。“
と。
“海の底に居られる神様が新たな使い方をなされるだろう”と。
それに倣ってチェンタイ氏の遺体を水葬にしたわけですよ。
すると二日後に海から戻ってこられた、と聞いています。」
「だって・・この横浜で・・水葬にしたのかい・・?」
「そう聞いてます。
ひとけのない大黒埠頭あたりで親族だけで夜中にひっそりとおこなわれたらしいですよ。
そしたら二日後に山下公園にずぶ濡れのまま歩いていたと。
ご親族は大層慶ばれましてね。これこそは海の神様の思し召しと。」
「へぇ、やっぱり生き返ったんだ・・ホントに。」
「ええ。もう五年になりますかねぇ。
あのときは中華街の顔役を失ったことで
悲しみもさることながら、跡目争いが遠退いたことを
当時のこの街の顔役さんたちは慶んでおられましたね。
なにせアレだけの大人(ダーレン)ですから
影響が大きすぎる。表の世界でも、裏の世界でも。」
「なるほどね、で、生き返ってからのチェンタイってのは・・・?」
チャーリーは神妙な顔をしてオレの耳に掌を寄せた。
「それがね・・とんだ女狂いでしてね。」
「ほぅ、いい歳こいて。たいしたもんだぜ。」
オレは黒く淀んだ運河を見ていた。
艀を押してタグボートが山下埠頭に向かってトロトロと運河を下っていく。
「ところでチャーリー・・あんたに頼みがあるんだが・・。
いや、あんたにしか頼めない。」
チャーリーは怪訝な顔をした。
「お客様、お金なら在りませんぜ_。」
あぁなんて男だ、客の腹の中まで見知っているのか_。
「ちがう、ちがう。そうじゃない。タンタンのことだ。」
「お客様、お金のこととオンナのことはこの商売の御法度なんですよ。
わかるでしょ?」
「あぁ・・わかった・・わかった・・。
とにかくタンタンに明日は店に出てほしくないんだ。
できればこのまちにいて欲しくも無い。」
「オーナーは店を閉じるのをたいへん気にされる方なので。
大きな地震が来ても、たとえ津波が襲ってもお客様の為ならお店を開けなさいと
重ね重ね云われておりますので。」
丸眼鏡の弦を直して、オレの顔を覗き込む。
「それじゃこういうのはどうだろう・・。
あの古惚けた店の空調の点検でもしないか?明日にでも。」
チャーリーは不思議そうな顔をした。
「空調は常々点検しておりますが・・お客様には不具合に感じられますか?」
「あぁ・・そうだなちょいと効きが悪くないか?」
「お客様のご要望とあらば。すぐに手配いたしましょ。
当店は明日は休業ですね。」
オレは舌を鳴らした。
「チャーリー、あんた、いい男だな!」
チャーリーは、笑って返した。
「勿論。私は、いい男なんです。」
オレは、チャーリーに感謝し、運河に架かる橋を渡った。




そして、そのときふと気がついた。
オレの足は、最初のチュンメイの遺体が流れ着いた寿町の川っぺりに向かっていた。
そこではいまだに警察の鑑識課の職員たちが手分けをして作業をしていた。
遠巻きに皆本と藤原の姿が見えたのでその一角を避けて足を早めた。
オレはそのまま運河を歩いて遡っていった。
運河の水面に落ちた銀杏の枯葉が逆流していくのが見えたからだ。
運河は大岡川から蒔田(まいた)、花之木町(はなのきまち)から分かれて
山下埠頭に向かって東に流れている。
が、阪東橋から乗り入れる高速の下を流れる睦町辺りの風景を思い出したのだ。
運河はそこから分かれて横須賀街道に沿って根岸方面に南下しているじゃないか。
大岡川の水流に乗って海に注ぎ込んでいるばかりではない。
潮の満ち干きによっては根岸側の海水が流れ込み、運河の流れは変わる。
なぜそんなことに気がつかなかったのか。
あの少女の遺体は南からの流れに乗って北上したのではないか。
オレはそう思い立ったのだ。

これはあくまでもオレの直感でしかないが、オレは根岸に向かった。





ここで頭の上の巨大な高速道路の橋桁が無くなり薄らボンヤリと晴れた
空が広がり、その明るさに一瞬目が眩みそうになりハットを被りなおした。
それから背中から吹いてくる北風に押されるように中村橋辺りから
横須賀街道に沿って運河沿いの道を南下した。
運河沿いの道はまっすぐに緩やかに下っている。
磯子橋を越えるころには潮の香りが漂ってきた。
八幡神社の横からは今度は首都高速湾岸線の高架橋が見えた。
JRと高速のガードを潜るとヨットの係留場があり、一気に空が開けた。
海と球形の天然ガスのタンクが並んでいる。




いつのまにか雲が増えていたようだ。
とぼとぼと歩きながら何かに引き寄せられるようにオレはその隣のプラントに
接した岸壁を目で追っていた。火力発電所の赤く塗られた巨大なクレーンを
横目に海を見ると、たくさんの錆びて赤茶けた艀が係留されている。
その先にやはり古びて使い物にならなさそうなクレーンがついた
砂利を運ぶガット船のような船が係留されている。

そしてそこでオレは、黒い革ジャンを着たヤンビンの姿を発見したのだ。







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