山下公園



Don Ellis - The French Connection II - 13. Big Chase 1975


オレは銃を構えながら、「俺」と共に殺風景な鉄骨丸出しの
階段を恐る恐る登って行った。
足音を消そうにもゴム底にも関わらず
カンコンカンコン音がする。
膝が痛んでふくらはぎがパンパンに膨れ上がった頃、硝煙の臭いがした。
そして血の臭いが混じり血飛沫が鉄板を張り付けた壁に飛んでいた_。
地上40mの狭い展望室に至ると、床には男の死体が横たわっていた。
目を移せばその横にもその後ろにも・・5人の男の死体があった。
手には各々拳銃を持ち、その銃口は互いを向けていた。
そして男たちの顔は若き日のゴールドメダリスト伊達宗人のものだった。
血生臭さが密閉された空間に充満していた。

その中でひとりだけ辛うじて息をしているものがいた。
その男にしても頸から夥しい量の血が脈拍を打つたび
に流れ出ていて、先は長くなさそうだった。
だがコイツに聞くしかない。

「いったいなにがあったんだ?!」

真っ先に口をつく質問を_オレは複製品に先を越された。
すると伊達宗人の複製品は息も絶え絶えに云った。
「おまえらもコピー品か?」
「そうみたいだな。お前のコピーを消し去るためにコピーされたんだ。
で、なにがあったんだ?おい!」

「あぁ・・結局騙されたんだ・・奴らは国際的な少数民族組織じゃない・・。
ウィグルでもラサでもタタールでもない。
オリジナルの・・伊達宗人は・・中国分断を望んだらしいが、ハハハ
騙されたんだよ。
だが、もっと騙されたのは・・。
俺が如何に優秀な腕を持ったシューティストだとしても・・だ。
とんだお笑いぐさだぜ。
ここに集まった俺達がなにを悩み・・なにを結論付けたか・・簡単なことだ。
俺達は人殺しじゃない。
人を殺したこともなく、これからも殺すことはない_。
俺達は殺人者ではない。
そして余りに不道徳な<俺達の存在>に自らが終止符を打つことが
最善の策だ、ということを。
俺達を作った・・将軍様には・・残念だったな。
俺達を作ったのは北朝鮮の工作員だ。
ヤツのターゲットは中国代表じゃない。韓国大統領だ。
北朝鮮の工作員キム・ウィチュンが狙っているのは韓国大統領だ。
仲間の居ない単独のエージェントだ。
俺達が仕事を請け負わないのを知ったからには自分で近距離から狙うだろう・・・」

そう告げると込み上げるのであろう痛みに身を捩った。
オレと「俺」は目を見やると、不思議なもので以心伝心・・
まぁ・・自分は自分なもので_。
オレは立ち上がると
「先に行くぞ、坂東に韓国大統領がターゲットだって伝えなければ・・!」
すると「俺」は頷いた。
「おぅ、俺はもう少しこいつから聞き出してみる。」
・・「頼むぞ!」

互いに右手を上げると、思わず滑稽さに顔がにやけた。
オレは階段を降り、横浜港シンボルタワーの外に出た。
どんよりと曇った空が広がっていた。
そして冷たい潮風がなにか降りそうな嫌な気配を感じさせた。
本牧埠頭D突堤横浜港の入り口にある横浜港シンボルタワーから
会議が行なわれるパシフィコ横浜まで凡そ8キロ。
歩くにはちと厳しい。
かといって、バス1時間に一本。
バスにしても1時間かかる。
他に代替案はない。
オレは気が遠くなりそうな気分を胸に重い足を前に踏み出した。
とにかくD埠頭入口あたりまで走れば・・2キロほど走れば車の通りもあるだろう。
タクシーでもトラックでも捕まえればいい・・。
ひとまず1キロ先の海釣り施設まで行けば電話が・・・
オレは走り出した。
車も人もいない海沿いの道を走る・・走る・・。
その途端、肺の中のニコチンが煮えくり返り、全身の汗腺から
タール色の汗が噴き出すような気分になった。
時間が無い。走れ、走れ。
直ぐに呼吸が上がり、胸が苦しくなった。
禁煙しとけばよかったぜ_。
走れ・・走れ・・!
横浜市の施設である海釣り施設に近づいた。
だが人けと云うものがまるでなく・・・ドアに回ると衝撃を受けた。

「本日休業」

どおりで誰もいないはずだ。ドアを揺さぶろうとしても動く気配もなかった。
仕方がない、オレは「D埠頭入口」の信号の方に向かって走り出した。
本牧あたりから横浜駅に向かうバスでもあるだろう・・更に1キロ走る。
吹き荒ぶ冷たい潮風が今は気持ちがいい。
雲行きはますます悪くなり北風が混じって汗まみれの身体はシンと冷えてきた。
走っているにもかかわらず_。
巨大なセメントタンク三本の前を大きく右に曲がる・・。
膨張し硬直化した脹脛が一歩前に出すたびに今度は膝が痛む。
走れ、走れ!
シャーシーターミナルの横を通り過ぎると、トラックが行きかうのが見えた_。
大きく腕を振る。
止まれ!止まれ!
畜生め、無視して通り過ぎやがる!
死にそうな顔のオッサンが必死に駆けづり回る姿を見て
止めるようなドライバーも居ない。
船員学校の角を曲がると「D埠頭入口」の交差点が見えた。
絶え絶えの息を更に走ると、今度は目がくらくらしてきた。
排ガス交じりの空気を肺いっぱいに吸い込むと吐気を催した。
走れ、走れ・・。

交差点で止まった市営バスに乗り込む。
ドライバーにIDカードを見せて緊急である旨を伝え・・
「携帯貸してくれ・・」
ドライバーは不安げな顔を見せるが、余りに必死そうな
オレの顔の迫力負けしたのか渋々携帯を渡してくれた。
息を飲み落ち着いて坂東太郎の携帯番号を押す_。

<ただいま、電話に出ることができません>

コイツ!
怒りのアドレナリンが脳内に充満した。
仕方ない。オレは110番に電話した。
緊急連絡だ、仕方なかろう_。

<110番 です、どうされました?>

「警護オブザーバーの平だ・・韓国大統領が狙われている、
警護班の坂東に伝えてくれ!」

しかしオレのメッセージは相手を怒らせたようだ。

<いいかげんにしなさい、悪質ないたずら電話は犯罪ですよ。>
一方的に切られてしまった_。
現地に乗り込むしかない。

だがバスは遅々として進まない_。
必ず赤信号で停止する。
「どうなってんだ?」
オレは携帯をドライバーに返した。
小港橋を曲がると渋滞が延々と山下公園辺りまで続いているのがわかった。

「今日はほら・・外国のお偉いさんたちが集まるんでね、
山下公園通りは二日間封鎖ですよ。
このバスも石川町方面に迂回します。」
更に嫌な雰囲気が漂い始めた。
多数の赤や青のパトライトが山下公園より手前で回っているのが見える。
・・事故だ・・。
パトカーから連絡するか・・?
いや全く取り合わないだろう・・
それどころか拘束されたらたまったものではない・・。
かくなるうえは・・再び自分の脚で走るしかない。
新山下1丁目あたりでバスを飛び下り、渋滞する道路を横切り、
無茶に曲がろうとして横転した軽自動車の事故を横目で視ながら、
山下公園の南端に到着した。





人けのない山下公園を必死に走った_。
畜生め、小雨が降ってきた。
こうしている間にも北朝鮮の工作員キム・ウィチュンは
韓国大統領に近づいているのだろう・・
クソっ!オレはこうして必死に走っているのに!
みなとみらいは既に目に入っているのに・・全然近づかないじゃないか!
焦るな、焦るな!
走れ、走れ!
氷川丸が見える・・氷川丸の横のシーバスのりば・・
どうせ運行は停止されているはずだ・・。
だが・・人影がある。
・・整備員か_?
オレは激しい息遣いと体内を猛烈な勢いで流れまくる
血流を一気に押し殺して声を掛けてみた。
「みなとみらいまで行けないか_?早く着かなければならないんだ・・」
すると髭面にロシア人のような帽子を被った老人は目をあげてオレを見た。
「みなとみらいは国際会議だかサミットだかで封鎖されている。」
疑いの眼差しで横目で視ている。
「あぁ百も承知だ、わかって聞いてるんだ、
オレがあそこに行かないとえらいことが起きるんだ。」
すると老人は顎をあげた。
「あんた警察かなんかか?」
オレは首から下げたIDカードを見せた。
「あぁ・・臨時雇われの警護スタッフ・・まぁ警官みたいなもんだ」
すると老人はニヤリと笑った。
「ハハハ、一度やってみたかったんだ、乗りな!直ぐに出してやる。」
オレはシーバスの船に乗り込んだ。
老人は船内にいた若い男に指示を出しエンジンが音を立てて回りだした。
「乗りな!」
老人は舫を解いた。




氷川丸の横から大桟橋方面に舵を切ると一気に視界が広がる。
巨大な客船が停泊している。
粉雪が舞い散り始めた。
その客船の横を通り過ぎると、赤レンガや新港埠頭が見え
禍々しい雪雲を背景にまるで悪の要塞のような
横浜インターナショナルコンチネンタルホテルが見える。
その真下にある海上旅客ターミナルへの接岸を試みるが、すでに警官たちが待ち構えていた。
「ここは接岸不能です、折り返してください。」
ハンドマイクでがなり立ててきた。
老人はオレを呼ぶと、どうするんだ?と云うような表情を見せた。
オレはマイクを握ると警官たちに云った。
「こちら特別警護スタッフ、緊急対応だ、テロリストは既に潜入している。
繰り返す、緊急対応として接岸する。」
老人はニヤリと笑った。舫を掛けている暇はないかもしれない。
オレは船外に出て、桟橋に近づくのを待った。
近づいたら飛び降りるしかなさそうだ。
つくづく体力勝負をさせやがる。
桟橋では警官達が妨害しようと立っている。




海に落ちれば・・風邪をひくだろうな。
船と桟橋に挟まれば・・死ぬだろうな。
だが・・今は・・やるしかない。

オレはタイミングを計り・・桟橋に向かってジャンプした。







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