魔女の館にて


Schubert, Sérénade (du Chant du cygne) ((Arr. Liszt)
"Ständchen"Schwanengesang) D 957-4




 「効果が覚せい剤に近似したA-PVPという脱法ドラッグがあります。
 合法にもかかわらず、覚せい剤の3倍の効果。
 A-PVPは今月15日に規制されましたが、まだ覚せい剤に近似した商品が
 “合法”として出回っているのが現状です。
  これをセックス時に使用して女性をハマらせることは簡単で、現実逃避を
 起こしやすく、ドラッグ使用時が平常の意識だと思い込むようになります。
 しかもその状態を許容してくれる人に依存するようになるんです。
  覚せい剤系の脱法ドラッグは睡眠薬や向精神薬と一緒に使用すると、
 効果が加速度的に上がり、精神を破綻させます。
  個人差はありますが、飲まず食わずでドラッグをやれば、
 早ければ3日で精神破綻、幻覚幻聴が加速度的に上がり、
 結果、痩せ細り、廃人状態になります」




 タンタンの店に立ち寄ったのは結局19:00過ぎだった。
愛しいタンタンは、あぁ今日も綺麗だよ。あぁ、いつもの頼むよ。
笑顔で出されたオールドターキーを一気にあおる。すると狭い店の更に狭いカウンターの奥で
チャーリーがニヤリと微笑みかけた。
「先程はすいません、お電話で失礼いたしました。
手前共の店のオーナーがお客様に是非お仕事をお願いしたいと申しておりまして。」
チャーリーがコースターにメモを挟んできた。

「オーナーはお客様のお仕事ぶりを大変感心されておりまして、
ぜひ今回の一件をお願いしたいと申しておりました。
報酬についてはいつもお世話になっているお客様ということで手厚くさせていただきます、と
申しておりました。
お仕事の内容については直接オーナーにお聴きください。」

メモを広げてみるとオーナーである
”ハマいちばんのヤリテ婆”の邸宅の地図が描かれていた。

「明日朝にでもお出かけくださいとのことでした。」

チャーリーが微笑みかけるので、愛想笑いをしながら受け流す。

「ここんとこ忙しくてな、仕事受けられるかな、まだわからないぜ。」

すると今度はタンタンが微笑みかけた。
「他の仕事なんかペンディングしちゃいなさいよ。」
最初に出会った頃の陰のある雰囲気なんかまるでなくなっちまった。
が、それはそれで・・いいことじゃないか。
 その日は早めに引き上げて翌日、”ハマいちばんのヤリテ婆”の邸宅に向かった。



見晴トンネルを抜けて急な坂をいっきに上り切った”山の手”の一角にある。
地図通りに表札の無い白い洋風の門構えの家を覗き込んでいるとタンタンが洋館から出てきた。
「待ってたわよ。」
タンタンとオーナーであるヤリテ婆とは大陸の同郷である、ということは以前聞いていた。
同郷のよしみで、あの店を任されている。あぁこの街ではよく聞いたような話だ。
実際大陸の人間は同郷とか血縁とかいった関係性を好む。
それがいいのか悪いのはともかく、彼らはそれを好む。
それだけのことだ。
しかしいつものバーテンダーの装いとは違うタンタンのパステルカラーの柔らかなグリーンの
ワンピースが意外に思えた。
「昨日の晩はオーナーの家に泊めてもらったの。」
タンタンに軽く会釈してハットをとると玄関に向かった。
「オーナーはお待ちかねよ。」
タンタンは中華風な装飾の玄関にオレを招き入れた。
中に通されると天井の高い大きな応接間に通された。
東向きの大きな窓は眼下に港を見下ろしていた。
「オーナーに伝えてくるわ」
タンタンが応接間を出ていくと、部屋の中を見回した。
凝った象牙細工の彫刻やら、隣の外人墓地を思わせるようなステンドグラスやら
なんとも雑多な感じがするが、どれも高価な品物に思えた。
が、あまり興味の湧くものではないため、再び窓の外の港を眺めた。
しばらくするとタンタンが押す車椅子に乗った気位の高そうな
老婦人がドアの向こうから現れた。
このおんなにつけられた渾名の数々のうち、いくつかはオレも聞いていた。
いちばん知られたものは”ハマいちばんのヤリテ婆”というものだった。
大陸からこの横浜に流れ着き、女ながらに”処女から薬から土地から地金まで”
荒くれ者の船員やら港湾労働者相手に商売にしてきた女。
ここ70年ほどこの横浜の街の裏社会を語るうえで、欠かすことのできない女。
齢百を超えたといわれるがどうみてもそうは見えない。
いや年寄りには年寄りに違いない。だが。
厚化粧の上に厚化粧を重ねたような真っ白な顔に真っ赤な口紅が異様に見えた。
その丹念過ぎるメイクのせいだろうか目玉がギョロッと大きく見えた。
その衰えを知らないような人の瞳から心を覗くような眼差しが異様に見えた。
総じていえば・・吸血鬼にしか見えなかった。
タンタンがオレのことを紹介してくれたので軽く会釈すると”ヤリテ婆”は皺を寄せて微笑んだ。

「あんたの話はコレからよく聞いてるよ、探偵さんてのはいろいろたいへんな仕事をしてるんだねぇ。」

なんの話をしたか知らないが・・まま・・外れちゃいない。

「あんたに仕事を頼みたいんだよ。金に糸目はつけない。だがね、他言は無用だ。
それが守れるかどうか、そこが心配だ。」

オレは頸を傾げた。

「お客の個人情報並びに業務上知り得た情報につき守秘義務を負うのが私の仕事です。」

教科書通りの解答をした。

「はたしてどこまでそれが守れるのかしらね。」

百歳過ぎの女吸血鬼は棘のある言葉を吐いた。

「大丈夫よ、このひとを追いかけるようなマスコミなんているわけないし。
もしこのひとが大きなこと言っても、相手にするようなメディアもないわ。」

タンタンが思わぬ助け舟を出してくれた。

「それならいいけどね・・仕事自体はたいした仕事じゃない。
だがね、マスコミとか困るんだよ。ほらいまじゃyoutubeもあればストリーム配信もある。
私の故郷の大陸からでも・・情報は鉄の壁をも突き破る・・そういう時代になっちまったからねぇ。」

百歳のバンパイアはインターネットを駆使しているようだった。
ただ意味深なものを語ろうとするあまり、なにを言っているかわからなかった。

「あんたにはある子供たちの近況を調べてほしいんだよ。」

厚化粧の皺だらけの婆さんは声を張り上げた。
だが其れだけじゃピンとこない。

「オレから情報が漏れることはない。絶対にない。
だから、大陸の小学生でもわかるように全てを話してくれ。
もし、オレを雇いたいなら・・。」

タンタンが婆さんに耳打ちしている。
大きくなんども首を振り、それからまるで顎を突き出すように云った。

「あんたを信用するわけじゃない。同郷のこの娘の言葉を信用するんだ。
あんたを雇う。」

次にドアの方に向かってダミ声を張り上げた。

「のり子、こちらにおいで!」

ドアが開きスカジャンを来たロングヘアーの女が入ってきた。
どこかで見たことのある・・。
笑ってはいないが親近感を覚えるような整った顔・・。
懐かしさを感じさせる・・。

「憶えてないかい?彼女を。坂谷のり子・・といったらわかるかね?」

オレはぽかーんと口を開けた。

もうふた昔も前になるか_。
今の十羽一絡げに売られる時代ではなくアイドルが単体で売られていた時代。
やはり乱立したアイドル歌手の中でもトップアイドルと言われた女。
アイドル歌手にして、主演のテレビドラマは高視聴率をマークし映画化された。
障害を持った主人公を体当たりで演じ、業界団体の賞を受け、女優としても子供から
年寄りまでに知られた。国営放送の大河ドラマの主役まで決まりかけたものだった。
オレにしたところで、デビュー曲のドーナツ盤のシングル盤は持っていた。
握手会に行ったオレのことを・・憶えているはずはない。

坂谷のり子。

その後、実業家といわれる男と結婚・出産。
世の男どもは泣いたものだった。

20年前のインターコンチの死亡事件のあと服役後、出所した忍田が通うボクシング・ジムを
麻薬Gメンがガサをいれて、同じジムに通っていた実業家高田祐吉も麻薬所持の現行犯で逮捕された。
芋づる式に麻薬常習者の名前が現れた。
しかし意外な名前が現れて、世間は震撼した。
可憐な盲目の少女を演じ万人の涙を絞った坂谷のり子が、まさか・・。と。
その後服役して一時は干されていたが。
ところがいまではアジア映画の女悪役として大ブレークした大女優だ。
アイドル時代の姿をかなぐり捨てたような濡れ場も汚れ役も嬉々として演じている。
彼女が主演した中国映画「吸血夫人」シリーズは日本でも公開された。

なぜ坂谷のり子が此処にいる?
ひょっとして、坂谷のり子をアジアで売り出した華僑系ブローカーと云うのは
この「ハマいちばんのヤリテ婆」なのか_。

「彼女はいまじゃアジアの大スターだよ。なのに嬉しいじゃないかぃ。
いまでもこうして私を頼って来てくれる。だから私はのり子がね。
可愛くて仕方がないんだよ。だからね。のり子の為ならなんでもしてあげたいんだ。」
いまではもう四十過ぎの今風に云うなら「美魔女」な、坂谷のり子のまだ白魚のような指を
妖怪婆さんは握って笑う。
それが不敵な笑顔なのでなんとも気持ちが悪い絵ヅラだ。

「で、仕事の内容は?」

低い濁声で妖怪婆が話し出した。
「のり子の子供のことだよ。
日本の警察はこの子を見つけ出せば、兎に角、追い掛け回すだろ。
マスコミにしてもそうだ。だから、のり子は仕事の関係も在ってマカオに住んでいる。
こうして日本の土地を踏むのにも私の会社の貨物船で入るしかない。」

_密入国?

「つまらない事考えるんじゃないよ。我が子可愛さで居てもたっても居られずに、こうしてここまで来たんだ。
だが、施設にいる子供に会う事が出来ないんだよ。
そこであんたにのり子の子供の様子を見て来て欲しいんだよ。」

なんとも釈然としない気分になった。
「オレが行っても仕方ないだろうが。我が子なら自分で逢いに行けよ。」
感情は表に出さないのが仕事の流儀だ。
だが孤児として育ったオレにしてみれば、それは感情的にならざるを得ない話だった。

「行ければ行くわよ、あたりまえじゃない、自分の子だもの!」
坂谷のり子はおしとやかそうなまだ整った顔立ちからは想像もできないような怒りの声を上げた。
「だから、此処まで来たのよ。でも普通に来る事は出来ないから、おばあちゃまに甘えて、密入国までして!
でも・・あと少しの所なのに。私が行けば間違いなく施設に迷惑がかかる。
そうすれば私の子供に迷惑がかかるかもしれない。そうおばあちゃまに云われたの。
でもどうしても自分の子の様子が知りたい・・。」
「だったら、堂々と行けばいいじゃないか。密入国なんかしないでさ。」
坂谷のり子は涙を浮かべた。
「日本の警察に見つかればその場で麻薬の検査をされるわ。
あなた元刑事って聞いたけど。だったらわかるわよね。どんな検査をされるか!
血を取られて、尿を取られて、服を脱がされて足の指の間から、陰毛の中、アナルの周りまで
注射痕がないか調べられるのよ!そんな恥辱は・・二度と耐えられない。」
坂谷のり子は泣き出した。
「これっきりよ。これっきり。ぜったい薬なんか使わない。
絶対、馬鹿な男と付き合わない。そういっても。警察は信じてくれない。」
女の涙はマカオや北朝鮮ではどうかは知らないが、横浜ではまだ抜群の威力を持つ武器だ。
特にこういうシチュエーションではたじろいでしまう。
そこに妖怪婆が助け船を出した。
「もういいじゃないか。あんたぁ、ここまで知ったんだ。
仕事を請けないわけにはいかないよ。裏切れば本牧のヘドロに沈んでもらうからね。」
この横浜の闇世界を半世紀以上牛耳ってきた婆だ、本当に殺されかねない。
「わかった。仕事を請けよう。」
すると坂谷のり子は喜んだ。
それ以上に妖怪婆は濁声で高らかに笑った。
タンタンはオレの困り顔をすまして見ていた。

仕事の内容を聞いて報酬の話をした。
なんのことはない。
子供の居る施設に出向き、ヤリ手婆名義の小切手を施設長と医者に渡して
坂谷のり子の子どもの様子を見てくること。そして報告すること。
報告は電話は使わず、メールも使わず。
オレは翌日その施設のある横須賀に向かう事になった。

追い立てられるように裏口に通されると妖怪婆の裏の顔を匂わせるような
黒づくめの男たちがなにやら箱入りの大型の赤い色した缶詰を運んでいた。
その量の多さに驚いた。
男たちはトラックに詰めこんでいった。
ラベルにはそのものズバリの商品名が書かれていた。
”筋力”
興味を示して見ていると100歳越えのヤリテ婆が濁声を発した。
「私たちの故郷から仕入れた新しい健康飲料さ。
無駄な脂肪が落ちて、筋力が増強し力強くなる。そういう薬さ。
メジャーリーグや総合格闘技の選手たちも飲んでいる。
うちの新たなヒット商品さ。」
タンタンがオレの腹を見下ろしてすましている。
「あなたも飲んだらお腹回りがスッキリするかもね。」
オレは日頃の鍛錬の怠りを嘆く素振りを見せて。
「これは恰幅というんだ。」
タンタンが気恥ずかしくなるほどの馬鹿笑いをした。
オレは妖怪婆と魔女たちの家を後にした。



















inserted by FC2 system